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コラム Nikkan Olympic Column
コーチの流儀 五輪コラム

コーチの流儀

 五輪に向けて日々闘っているのは選手だけではない。スポットライトを浴びるアスリートの背後には、必ず優れた指導者たちがいる。ロンドンの表彰台を目指し、さまざまなアイデアを持ち、独自の工夫を凝らしている。そんなコーチたちの指導哲学に迫る。

見ているだけで一緒に筋肉痛/三宅義行コーチ

08年北京五輪に向け、三宅宏実を指導する三宅義行コーチ
08年北京五輪に向け、三宅宏実を指導する三宅義行コーチ

 68年メキシコ五輪の重量挙げフェザー級銅メダリスト、三宅義行コーチ(66)は、父子で五輪の表彰台に挑む。女子53キロ級の三宅宏実(26=いちごグループホールディングス)を04年アテネで9位(48キロ級)、08年北京で6位(48キロ級)に導き、今回のロンドンではメダルの期待が高まる。16歳で競技を始め、今年で51年目。文字通り、重量挙げに人生をささげてきた。日本記録(トータル207キロ)の更新に挑む娘の背後には、サポート役に徹する父の存在がある。【取材・構成 佐藤隆志】

 宏実がバーベルを握る。それを遠巻きに父義行は見守る。ぐっと力を込め、娘はバーベルを頭の上まで持ち上げる。コーチとして最も力の入る場面だ。

 義行 一緒に筋肉痛が起きますよ。自分に経験があるからこそ起こる。重さも分かるし、痛みも分かる。今、選手がどんな心理状態か、とか。すべて分かる。

 とうの昔にバーベルは置いた。だが66歳となった今も「現役」は続いている。

 義行 もう16歳からウエートを始めて51年目ですから。いつも挑戦だと思う。一緒になってトライしていく。選手と同じ気持ちになって進んでいく。何とか、この人(娘)のやっていることを出してあげたい。

 兄は64年東京、68年メキシコ五輪を連覇した義信氏。偉大な兄の背中を追い続け、そのメキシコでは同じ表彰台に兄弟で上がった。

 義行 力的にはそんなに差がなかった。かたや東京で金を取って、その後も世界一ですから。それが目の前にいたから、ライバルですね。結果的に3番ですけど、勝ちにいきましたよ。

 重量挙げは過酷な競技だ。殴ったり、殴られたりしない。だが過度な重量に挑み続けるあまり、体が悲鳴を上げる。「もう切るところがない」と笑う。両ひざ、両ひじ、手首に腰。さまざまな故障を繰り返し、メスを入れた。さらに噴門部潰瘍に声帯ポリープ。内臓への圧力も大きい。

 義行 指も曲がっている。神経だめで筋肉もない。両ひじ、両ひざ、腰にはチタンが入っている。自分の定めだから仕方ない。選手には苦労とか、痛い思いをさせたくない。だから正しくやろうよ、と。技術を正しくマスターすることによって、関節にかかる負担、筋肉にかかる負担、こういったものが緩和される。

 パワーには限界がある。導き出した1つの答えは、柔軟性だ。選手時代、自己流でさまざまな練習メニューに取り組んだ。例えば、大型トラックのタイヤを地面に敷き、薄い板を乗せたフワフワと不安定な場所でバーベルを持ち上げた。また、苦手なスナッチ技術を向上させるため、真っ暗闇の中で恐怖心と闘いながら練習したこともある。

 義行 ボカンとおでこにぶつけ、たんこぶをつくる。それをやれば一流になれる。何ができるか、というとできないことを一生懸命やる。極端なこと言えば、ニンジンが嫌いだとなると原形は食べない。だけどジューサーにかければ食べられる。それが工夫でしょ。私はそれを今やっている。

 宏実を指導して約12年、当初できないと怒った。だが男と女は違うことに気付いた。大事なのは、意欲を持たせ、前向きにさせること。教え込むのでなく、サポート意識が芽生えた。

 義行 最初の3、4年は分からなかった。怒ったからって、そこに何も生まれない。ガンガンぶつかっていると長続きしないですよ。相手を認めて尊重してあげる。一番悩み、苦しいのは選手だから、気持ちよくやれる環境をつくってあげたい。(04年の)アテネが終わって変えました。困った時に「こうしたらいいんじゃないの?」「大丈夫だ、心配するな」って。

 シンプルな競技だからこそ、技術の追究が大きな作業となってくる。その部分を培うには、人間性が密接に絡んでくる。だから奥はどんどん深くなる。

 義行 付き合いが古くなればなるほど、正しい言葉を使わないといけないし、ごまかしが利かない。選手を終え、その先どう成長していくかも考えながらやっている。自分で切り開かなくちゃいけないところは、ほっとく。言わない。

 戦う娘を、父は離れた場所から見守り、人知れず闘う。ロンドンでの目標は表彰台ではなく、笑顔で終わることだ。「あぁ、よかったね、って。アテネも北京も涙で終わりましたから」。そう言う顔は、優しさに満ちあふれていた。

 ◆三宅義行(みやけ・よしゆき)1945年(昭20)9月30日、宮城県柴田郡村田町出身。法大-自衛隊。68年メキシコ五輪のフェザー級で銅メダルを獲得した。69、71年の世界選手権優勝。64年東京と68年メキシコと五輪連覇したフェザー級の義信氏は兄。現在は日本ウエイトリフティング(重量挙げ)協会常務理事。日本オリンピック委員会評議員。

(2012年4月10日付、日刊スポーツ紙面より)

 [2012年7月14日14時11分]



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