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コラム Nikkan Olympic Column
負けない!日本~スポーツ100年~ 五輪コラム

負けない!日本~スポーツ100年~

 金メダルのドラマが感動を生み、日本人を勇気づけた。日本のスポーツを統括する大日本体育協会(現日本体育協会)創立は、101年前の1911年(明44)。日本の五輪参加もロンドン大会で100年となる。逆境をはね返した金メダリストの偉業を振り返る。【編集委員 荻島弘一】

疑惑採点、監禁乗り越え奇跡の逆転/男子体操団体

<76年モントリオール五輪>

 「体操ニッポン」が底力を見せた76年モントリオール五輪。男子団体総合は、規定でソ連にリードを許した日本が、奇跡の金メダルに輝いた。ソ連との激烈な争いの裏には、日本の活躍を止めようとする東欧の力が働いていた。直前にソ連のチトフが国際体操連盟会長に就任。審判団もソ連など東欧勢が多数を占めた。種目別の各国出場枠が2になったのも、日本のメダル独占を防ぐためだった。

 ソ連の高得点に対して、日本の得点は抑えられた。さらなる悲劇は3種目目、藤本俊がつり輪の着地で負傷した。前十字、後十字、内側側副靱帯(じんたい)を同時に痛める重症。係員に連れ去られた藤本は、戻ることはなかった。

 藤本 床で痛めていた足が「ぐしゃっ」といった。医務室では痛み止めを打つことを拒否され「みんなの元に戻りたい」と頼んでも拒否された。部屋に1人残され、外からのカギで閉じこめられた。何も聞こえない部屋で考えたのは、日本に帰ってからの言い訳ばかり。地獄だった。

 体操連盟の係員による藤本の「監禁」は、日本の動揺を誘おうという狙いだったのだ。当時の団体総合は6人が演技して上位5人の得点を採用する方式。藤本を欠いて残り3種目、チーム最年長29歳の加藤沢男でさえ、重圧に襲われた。

 加藤 失敗は許されないというプレッシャーは大きかった。いろいろ考える余裕すらなかった。できるのは、自分の責任を果たすことだけ。よくやり通せたなという思いしかない。

 5人のうち、加藤と塚原光男、監物永三の3人は68年メキシコ大会から3大会連続出場。体操ニッポンの伝統を守りたいという思いは強かった。逆に、最年少23歳の梶山広司は冷静だった。最後の鉄棒では1番手で登場し、世界初の「新月面宙返り」を披露した。

 梶山 6人いても、失敗してもいいと思って演技する選手はいない。自分が入って負けたらイヤだなというのはあったけれど、負けたって銀メダルはとれるんだから。重圧は加藤さんたちの方が強かったはず。

 競技は「アウェー」だったが、カナダの観客は味方だった。日本に高得点を求め、ソ連にはブーイング。大会直前にエース笠松茂の離脱で補欠から繰り上がった五十嵐久人は、鉄棒で世界で初めて「伸身後方2回宙返り」を決めた。採点でもめて15分間も中断した。

 五十嵐 ソ連の審判と日本の審判が言い争いをしていたが、観客が応援してくれた。最初から採点は日本に厳しかったけれど、カナダの人は支持してくれた。特に、5人になってからは声援が大きくなった。

 藤本の「監禁」で、逆に日本の勢いは増した。さらに、日本にとって良かったのが演技順。通常は規定の1位が床から始め、最後に鉄棒というローテーションだが、この大会に限っては規定1位はあん馬から。規定2位の日本が本来1位のローテーションで戦えた。

 監物 ソ連が規定2位で上がった場合を考えてなのか、なぜか順番が変わっていた。でも、2位になったのは日本だった。当時の鉄棒は離れ技も少なく、失敗のリスクは小さかった。特に日本は鉄棒が得意。ソ連側の思惑は外れて、逆に日本に有利になった。

 鉄棒の最終演技者は塚原だった。藤本を除く5人の選手が見守る中「月面宙返り」の着地が決まった。

 塚原 足が震えた。究極の緊張。ただ、演技が始まると自然と体が動いた。体操は個人競技で、団体戦でもチームメートは(個人総合や種目別の)ライバル。ただ、あの時だけはチームで勝った。日本がソ連に勝った。あれほどうれしい金メダルは、初めてだった。

 5人は抱き合って号泣した。監物の「俊ちゃん、やったよ」という声に、解放された藤本も泣いた。採点から「監禁」まで、すべてがソ連を勝たせるように動いていたが、日本はそれをはねのけ、逆に利用して勝った。連覇は次のモスクワ五輪不参加で途切れたが、その偉業は奇跡の逆転劇とともに、決して色あせることはない。(敬称略)

 ◆76年モントリオール五輪体操男子団体総合 エース笠松が大会直前に虫垂炎になり離脱。補欠の五十嵐が代わって出場した日本だが、規定を終えてソ連に0・5点のリードを許した。自由で徐々に差を詰めていったが、3種目目のつり輪終了時に藤本が負傷離脱。残り3種目は失敗やケガが許されないギリギリの状態だった。跳馬、平行棒と日本が完璧な演技を続けるのに対し、有利なはずのソ連にミスが続出。最後の鉄棒最終演技者の塚原が9・90を出した瞬間、日本の逆転金メダル、団体総合5連覇が決まった。

(2011年8月16日付日刊スポーツ紙面より)

 [2012年7月4日17時12分]



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