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コラム Nikkan Olympic Column
負けない!日本~スポーツ100年~ 五輪コラム

負けない!日本~スポーツ100年~

 金メダルのドラマが感動を生み、日本人を勇気づけた。日本のスポーツを統括する大日本体育協会(現日本体育協会)創立は、101年前の1911年(明44)。日本の五輪参加もロンドン大会で100年となる。逆境をはね返した金メダリストの偉業を振り返る。【編集委員 荻島弘一】

運呼ぶ「一日十善」情けは人のためならず/競泳・田口信教

<1972年ミュンヘン五輪>

 第1回は72年ミュンヘン五輪競泳男子100メートル平泳ぎの田口信教(のぶたか)氏(61=鹿屋体育大教授)。世界一に導いたのは「トイレ掃除」と「詰め将棋」だった。

 「悔しいとか悲しいとかいうより、次は絶対に勝ってやると闘志が湧いた」。田口は振り返った。68年メキシコ五輪100メートル平泳ぎ準決勝、世界記録を上回りながら失格。足のけりが禁止されているドルフィンキック(バタフライのキックで足の甲で水を打つこと)とみなされ、泳法違反をとられた。ギリギリの判定は「運」が悪いともいえた。雪辱を期すミュンヘン五輪までの4年間、まず考えたのは、どうすれば「運」を手にできるかだった。

 田口 五輪決勝だと、8人の力の差は3%ぐらい。それでも1位がいて、8位がいる。あとは「運」。尾道高時代の佐々井(輝真)監督には「行いが悪いと運はつかない」と教わった。「運は自ら作るものだ」とも。勝つためには、人のやらないことをすること。神様は見てる。最後には自分に帰ってくるんですよ。

 「一日一善」と書いた紙を、寮の部屋にはった。しかし、中学の頃から指導を受ける徳田一臣に「一善で金メダルなら簡単だな」と言われ、縦棒を1本加えて「一日十善」にした。バスで席を譲るなど困っている人を助けるのは当たり前。食事の支度では、ジャガイモの皮むきなど下ごしらえ。寮のトイレも掃除した。

 田口 トイレ掃除は、みんな嫌がる。だから、積極的にやった。それが「運」になるんだから。全部、自分のため。でも、困っている人なんて、そんなにいるもんじゃない。何でもやったけど、それでも十善は大変だった。土手のランニング中にゴミ拾いもした。

 善行に励みながら、泳ぎも改良した。新しいキックを開発すると、各国の関係者にビデオを送った。スタートは陸上競技のように極端な前傾姿勢に変えた。「水の中だけがレースじゃない」と、招集所では一番高い場所に座り、ライバルを見下ろして重圧をかけた。金メダルのために、できることはすべてやった。

 田口 実は大学(広島商科大)時代は将棋部。詰め将棋に夢中になった。どうやって詰むか。答えから逆算して、一手ずつ考える。必ず詰むのが詰め将棋だから、詰まなければ、自分に問題がある。水泳も同じ。金メダルというゴールに向けて、一手ずつ積み重ねた。それが、楽しかった。

 トイレ掃除をし、徳を積み重ねて迎えたミュンヘン五輪本番。序盤から飛び出して予選、準決勝を1位通過した。決勝レース、田口のスタートダッシュを恐れて飛び出したライバルたちを欺くように50メートルを7位でターン。ラスト25メートルでごぼう抜きした。詰め将棋のように計算し尽くしたレース運びで4年前の雪辱を果たした。「金を取ったことよりも、取る過程が楽しかった。良かったのは、その過程でも決して諦めなかったこと。もともと前向き思考なんですよ」。北島を含めて7人が五輪金メダルを取った日本のお家芸、平泳ぎの偉大なる先人はそう言って笑った。(敬称略)

 ◆72年ミュンヘン五輪競泳男子100メートル平泳ぎ

 予選、準決勝を先行逃げ切りパターンで1位通過した田口は、決勝で4コースを泳いだ。手足の指でスターティングブロックをつかみ、前傾するロケットスタート。前回五輪で失格となった田口キックは改良され、新田口キックとして完成していた。準決勝までと違って決勝では力を残して50メートル7位ターン。ペースが落ちた米国のヘンケンら外国勢をラスト25メートルで次々と抜き去った。タイムは1分4秒9、世界新記録で日本水泳界に16年ぶりの金メダルをもたらした。

(2011年7月26日付日刊スポーツ紙面より)

 [2012年6月27日16時52分 紙面から]



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