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コラム Nikkan Olympic Column
敗者の美学 五輪コラム 敗者の美学

 勝者がいれば、必ず敗者がいる。「敗者の美学」では日本人選手はもちろん、海外の選手も含めた「敗者」の人間ドラマをクローズアップ。記者が思い入れたっぷりに語ります。

西塔「まだ二流」と自覚した19の夏/陸上

<西塔拓己:陸上男子20キロ競歩>

 「ライバル」に続くつもりだった。4日の陸上男子20キロ競歩で西塔拓己(19=東洋大)は五輪の洗礼を浴びた。序盤からリズムに乗れず、完走48人中、日本人2番手の25位。バッキンガム宮殿周辺のコースに「スタートラインに立ってビックリした。のまれてしまいました」と苦笑いした。

 レース前に刺激された。この日の男子100メートル予選で、山県亮太(慶大)が世界の強豪と渡り合い、自己ベストの10秒07で予選通過した。「本当にすごい、自分も、と思ったら空回りした」。同じ広島県生まれの大学2年生。高校時代から何度も顔を合わせ、「勝手に」ライバルだと思っている。昨秋の国体では、山県がジュニア新記録を出した翌日に1万メートルのジュニア記録を塗り替えた。

 その負けん気で飛躍した。昨年入学した東洋大には「山の神」柏原竜二(富士通)がいた。「練習から生活態度まで違った。種目は違うけど、練習量だけは誰にも負けないように」とフォームを固めた。柏原からは「積極的に前へ」の言葉をもらい、攻めるスタイルを身につけた。箱根駅伝前は長距離メンバーではないのに、寮に泊まり込んで裏方として支える。創部85年目の同大陸上部で、初の現役学生五輪戦士になった。

 壮行会では「能美町と言えば栗原恵さんだと思っていたでしょうけど」と同郷のバレー選手の名前を出して笑わせた。能美中では無名の長距離選手。同校の宮本好章教頭は「本当に普通の子だった。今の中学生には、頑張れば夢はかなうと言っています」と喜ぶ。酸っぱくて、でも最高だった19歳の夏。西塔は「こういう状態で力を発揮できるのが一流。まだまだ二流なので、この経験を生かしたい」と、また1つ成長した。【近間康隆】

 ◆西塔拓己(さいとう・たくみ)1993年(平5)3月23日、広島・江田島市(旧能美町)生まれ。広島商1年の6月に競歩を始め、5000メートルで10年総体と国体少年の2冠。今年の全日本20キロ2位、7月の世界ジュニア1万メートルで4位。178センチ、61キロ。

 [2012年8月6日9時19分 紙面から]



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