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杉本銀!お家芸で女の意地/柔道

判定の末に銀メダルとなり、力なく階段を下りる杉本(撮影・たえ見朱実)
判定の末に銀メダルとなり、力なく階段を下りる杉本(撮影・たえ見朱実)

<ロンドン五輪:柔道>◇3日◇女子78キロ超級決勝

 あと少しだった! 杉本美香(27=コマツ)が銀メダルを獲得した。決勝でイダリス・オルティス(キューバ)と延長戦を戦い抜き、判定にもつれた末に0-3で敗れた。準決勝で地元英国のブライアントに優勢勝ち。北京五輪金メダリストの■文(中国)が準決勝で敗れ、金メダルへの最大のチャンスだったが、その■文を破ったオルティスに惜敗した。柔道女子は全7階級で金、銀、銅各1を獲得した。

 金の光は、すぐそこまで迫っていた。だが杉本は扉をこじ開けられなかった。延長を含む8分間の死闘で、投げきる形をつくれなかった。旗判定で上がったのは、オルティスを支持する白旗3本。「金メダルを目指していたので悔しい。モヤモヤな感じでした」。後悔だけが後に残った。

 舞台は整っていた。2回戦、準々決勝は得意の払い腰で秒殺。準決勝でブライアントに優勢勝ちする直前、絶対的女王の■文が負けた。決勝は10年世界選手権で倒した相手。金メダルは目前だった。だが序盤、最初に出した払い腰を返された。そこで足が止まった。「今まで頑張ってきたんだ。勝負してみろ!」。園田監督の言葉にも、動けなかった。「もっと思い切り行けたのに…」と悔やんだ。

 それでも絶望に近い状況からここまで来た。165センチ。最重量級で小柄な体は、いつもケガと隣り合わせだった。大学4年の06年6月、左膝前十字靱帯(じんたい)を断裂。8月の誕生日に入院し、手術を受けた。全治約1年と診断された。力が、元に戻ることはないとまで言われた。入院先のベッドで、周囲に声を聞かれないよう枕に顔をうずめて毎晩、泣き続けた。

 ある日、同じように前十字靱帯断裂を経験しながらも世界女王になった薪谷翠さんが茨城・つくば市まで、大阪から見舞いに来てくれた。「一生懸命、治したら思い切りやれるよ」。筑波大の入れ替わりで、部屋も家具もすべてを受け継いだ。背中を追い続けた先輩の一言で前向きになれた。

 我慢を強いた家族のためにも、金が欲しかった。小学5年で柔道を始めたころ、猛反対されていた父啓次さんに「絶対にやめないと約束せい」と言われ「投げるのは気持ちいいもん」と答えた。両親も本腰を入れて付き合った。すると、自分がいない居間で姉照美さんは父と母に「なんで美香ばっかり」と不満を言った。両親は「今は美香のやりたいことをやらせたいの」。聞き耳を立てていた杉本の、柔道への決心が固まった。

 06年の大ケガでは、実家から母維久子さんが来てくれた。船で送った車で3カ月間、病院と部屋の送り迎え。リハビリで汗だくとなった着替えを取りに1日2往復が当たり前だった。そのころ実家では母不在の生活。父と姉にも疲労があったが、杉本を支えようと誓っていた。4カ月も早い8カ月で復帰。家族の力と苦労があって、今があった。

 小学6年のとき、1枚の絵を描いた。日の丸が入った柔道着を着て、五輪で戦っている絵。金メダルも入っていた。代表仲間から与えられた「不死鳥」の愛称を持つ杉本は、数々の大ケガからよみがえった。16年後、金には届かなかったが、胸には光り輝く銀メダルがあった。【今村健人】

※■はニンベンに冬の2点がニスイ

 [2012年8月4日9時16分 紙面から]



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