アフリカ勢台頭の先駆け/アベベ・ビキラ
64年10月21日、東京五輪マラソンで優勝したアベベ
<アベベ・ビキラ(エチオピア=陸上男子)>
「はだしのマラソンランナー」は、近代五輪では後にも先にもこの人だけだろう。60年ローマ大会で、レース前に靴が壊れ、練習と同じはだしで走った。日が暮れ、たいまつに照らされたコンスタンティヌス凱旋(がいせん)門のゴールまで、石畳のアッピア街道を走りきり、当時の世界最高記録となる2時間15分16秒2で世界を驚かせる金メダルだった。
64年東京大会では、今度は靴を履き、20キロ過ぎから独走。背筋を伸ばし、うつむき加減で表情を全く変えない「走る哲学者」は、2時間12分11秒2の世界最高記録で五輪初のマラソン2連覇を果たした。ゴール後、両手を回しながら芝生に入り、いきなり整理体操を始め、観衆の笑いも誘った。後続の円谷とヒートリーがトラックで激闘を繰り広げる前だった。36歳の68年メキシコシティー大会は左膝を痛めて途中棄権した。
2000メートル近い高地で練習していたことで、高地トレーニングが注目されるきっかけになった。69年、交通事故に遭い、下半身不随に。73年、脳出血で死去。41歳だった。アフリカ勢がマラソン界を席巻する先駆けだった。