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女子が銅メダル!韓国に勝った/バレー

銅メダルを獲得し喜ぶ木村(中央)ら日本選手(撮影・田崎高広)
銅メダルを獲得し喜ぶ木村(中央)ら日本選手(撮影・田崎高広)

<ロンドン五輪・バレーボール:日本3-0韓国>◇11日◇女子3位決定戦

 火の鳥ニッポンが銅メダルだ! バレーボール女子の3位決定戦がアールズコートセンターで行われ、日本は25-22、26-24、25-21のストレートで韓国に勝ち、銅メダルに輝いた。日本のメダルは、84年ロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得して以来、28年ぶりの快挙。日本はブラジル戦で不調だった2枚看板の1人、江畑幸子を先発から外し、迫田さおり(24)を起用。その迫田がチーム最多の23得点を挙げるなど采配も当たり、チーム一丸となってメダルを獲得した。日本選手団が獲得したメダルは37個となり、1大会最多の04年アテネ五輪に並ぶことが確定した。

 コート上に、28年分の涙と歓喜の輪ができた。2度目のマッチポイントが決まった瞬間、誰もが胸を震わせ、コートに崩れ落ちた。真鍋監督やスタッフもベンチを飛び出し、その輪に加わった。チーム一丸となった銅メダル。「このためにやってきた。感激してます。もう真っ白でした」。真鍋監督の声が震えていた。

 勝負をかけた。9日のブラジル戦の後、不調だった江畑を外し、迫田のスタメン起用を決めた。真鍋ジャパンになってから「迫田をスタメンにすると結果がダメ」。しかし、韓国戦に限れば、江畑よりもスパイク決定率は「15~20%も上」だった。「迫田にかけた」。その期待に迫田が応えた。

 第1セット、6-1とリードし主導権を握った。追いつかれてからは迫田、迫田のオンパレード。韓国のブロックに止められても、セッターの竹下が「頑張れ」と、迫田にトスを上げ続けた。その後ろでは、エースの木村が地味なレシーブで拾いまくり、主将の荒木は声をかけ続けた。

 第1セットのセットポイントを迫田が決めると、第2セットのセットポイントも迫田がサーブで崩し、2セットを連取した。最後のマッチポイント。迫田は「最後の試合。自分の力を出し切ろう」と、こん身の思いでスパイク。韓国のブロックをはじき飛ばした。

 平均身長は、日本の約175センチに対し、韓国は約182センチ。出場12カ国中、170センチ台は日本とアルジェリアだけで、日本は最も低い。しかし「結束すれば10の力が20や30になることを証明できた」(真鍋監督)。センターのポジションにも、機会が少ないレシーブの練習をさせるなど、誰もが何でもできる一丸バレーで28年ぶりの快挙につなげた。

 その信念は、12人の代表だけではない。リザーブだった石田瑞穂と迫田は同期の親友だった。代表12人を支えてきた石田が、大会が始まれば選手を変更できないために帰国した。その際に、全員に手作りのお守りを配った。迫田は、石田の背番号13のユニホームを自分のユニホームの下に着て中国戦から戦った。「今日も一緒に戦えた。全員で勝ち取ったメダルです」。その気持ちが韓国を上回った。

 昨年12月31日に、日本の国際的な活躍に尽力した日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆氏が亡くなった。松平氏が協会会長時代、日本代表だった真鍋監督に、監督就任以来「ロンドンでメダルを取るために頑張れ」と励まし続けてきた。五輪直前のスイス合宿に出発する7月9日、代表全員が松平氏の墓前で「メダルを取ってきます」と約束した。金ではなかったが、その約束をしっかりと果たした。【吉松忠弘】

 [2012年8月12日12時55分 紙面から]



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