美しき名花、怒りの名花/ベラ・チャスラフスカ

64年東京五輪に出場したチャスラフスカ
<ベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア=体操女子)>
「五輪の名花」。最初につけられたのが、この人だった。日本中にテレビが普及した64年東京大会。後ろに束ねた金髪、赤いレオタードの少しふくよかな肢体でお茶の間をうっとりさせた。個人総合では、五輪金メダル9個の女子最多記録を持つラチニナ(ソ連)との一騎打ちを制した。平均台、跳馬でもソ連勢に勝ち、3つの金メダルを獲得。技の難易度中心の今の体操とは違い、優美さ、美しさでも観客の目をくぎ付けにした。
68年メキシコシティー大会でも「名花」は華やかさを増す。同年、母国は民主化運動(プラハの春)でソ連の軍事介入を受けた。抗議を示す濃紺のレオタードで臨み、演技中も笑顔はなく、むしろ怒りを表していた。ソ連勢との戦いで個人総合連覇。床、段違い平行棒、跳馬の4冠に輝いた。金を逃した平均台表彰式では、優勝したクチンスカヤ(ソ連)のメダル授与中に背を向けていた。
金7個は体操女子ではラチニナに次ぐ。引退後は政治状況により不遇の時代もあったが、89年共産党政権崩壊で復権。10年には「東京の名花」に旭日中綬章が贈られた。