金のハードル下げる時
<ロンドン五輪:柔道>◇3日◇男子100キロ超級2回戦
最後のトリデとなった上川が何もできず、あっさりと敗れた。テレビを通して「絶対に勝つ」という気迫は感じなかった。7階級で感じたのは、この気持ちの弱さ。「前へ」という思いが伝わらない。積極的に技をかけず、判定勝ちも目立った。一本勝ちも、数えるほど。見ていてフラストレーションがたまった。
もちろん、技を出せない理由も分かる。自分の組み手にならず、不十分な技は返しが怖いのだろう。それでも、積極的に一本を狙ってほしかった。前日のバドミントン男子シングルス準々決勝、佐々木翔に興奮した。世界最強の林丹(中国)に1歩も引かず、時速400キロのジャンピングスマッシュで互角に渡り合った。その気迫がテレビを通しても伝わった。しかし男子柔道にはそれがなかった。
「金メダル」へのプレッシャーか。10年から1階級2人になった世界選手権と違って、1階級1人。すべての責任は自分にかかる。「自分のために」の戦いではなく「日本のため」の戦いになる。選手たちの精神力が、耐えられなかった。
レスリングは88年ソウル大会まで金メダルを取り続けてきた。「銀では意味がない」だったが、その後はハードルも下がった。体操も、戦前の競泳も同じ。世界での立ち位置を、謙虚に認識することも重要だ。伝統が生んだプライドを残しながらも現状を正確に分析できたから、復活できた。
柔道もハードルを下げる時かもしれない。「男子はメダルを4個もとった」と喜べばいい。多くの人は文句を言うまい。「金でなければ」と、自ら首を絞めることはない。実力不足を認識する方が先だ。海外に劣っているわけではないが、優れているわけでもない。「強豪国のひとつ」というのが日本の現状だ。
発祥国だからといって、世界の柔道をリードする必要もない。気概はいいが、リードしなくても世界は動く。「日本が日本が」というのは「おごり」に聞こえる。もちろん、柔道の正当な発展を願うことは大事なこと。しかし、それは講道館がやるべきことで、競技の普及と強化を目指す全日本柔道連盟、つまり日本代表の仕事ではない。
上川は4月の全日本選手権前「別に普通の試合と同じです」と言った。古い柔道家にとっては「五輪より上」だが、若い選手は考え方が違う。それが現実。現実から目を背けて否定するのでなく、受け入れて前へ進む。日本柔道界も、日本も、今それが必要な時だ。