「仲間のため」だから興奮、感動
興奮し、感動するリレーだった。競泳最終日の最終種目、男女の400メートルメドレーリレーで、日本は素晴らしい泳ぎを見せた。選手でなくても「チームの力」を感じずにはいられない。
200メートル背泳ぎ銀メダル直後の入江が言った。「競泳は27人のリレー。最後の選手がゴールするまで終わらない」。出来すぎた言葉だが、実感なのだろう。今大会、選手は「チームで」を連発した。競泳は個人競技、サッカーとは違う。中には違和感を覚えた人もいるかもしれない。しかし、そこに「水泳ニッポン」復活の鍵があった。
スイミングクラブ育ちの選手が台頭し、選手層が飛躍的に厚くなったのは80年代後半からだ。96年アトランタ大会は世界ランク上位の選手をそろえて「史上最強」とも言われた。ところが、選手は本来の力を出せずにメダルは0。反省から導き出した再建策が「チームで戦う」だった。
00年シドニー大会から選手選考基準、直前の強化方法などが変わった。少数精鋭で臨む。所属ではなく代表チームで鍛える。結果はメダル数に表れた。それがアテネ、北京も続いた。
今大会も4月に代表が決まると、翌日最初のミーティングで「チーム」が強調された。参加できなかった48年ロンドン大会前後のビデオを見せ、日本水泳を引っ張った橋爪四郎氏を招いて話を聞かせた。49年全米水泳で大活躍した当時の選手の手記を、全員に渡して読ませた。「みんなが同じ思いを持てるようにする。戦う気持ちを共有させる」と、上野監督は話した。
男子200メートル個人メドレー、5位の17歳萩野は「すごい夏休みでした」と高校生らしく笑い、6位の27歳高桑は「ありがとうございました」と自衛官らしく深々頭を下げた。年齢も環境も個性も違う選手が「自分のため」だけでなく「仲間のため」に泳ぐ。練習から手は抜けない。勝つために意見交換し、刺激し合う。それが、戦後最多11個というメダルにつながった。
もちろん、浮かれてばかりはいられないはず。「メダル8個」のメダルはクリアしたが「金を含む」は積み残し。「決勝レースに20人」も達成できなかった。わずかの差を、どう埋めるか。リオに向けての世代交代も必要だし、指導陣にも変化はあるだろう。それでも、決定的なパワーの差を新しい泳法など技術の工夫と不断の努力で乗り越えてきた水泳ニッポン。「次の一手」に期待せずにはいられない。