「歴史」「伝統」意識した結果の○年ぶり
米満が男子レスリングで24年ぶりの金メダルに輝いた。88年ソウル大会で「最後の金メダリスト」となっていた佐藤強化委員長とがっちり握手。日本協会の福田会長に肩を抱かれ、ねぎらわれた。女子の大活躍で「おまけ」扱いまでされた男子は、金メダル獲得が至上命令だった。協会をあげてのバックアップ、佐藤委員長ら現場指導者の執念、そして選手の努力が「お家芸」を復活させた。
村田はボクシング界に48年ぶりの金メダルをもたらした。64年東京大会の桜井孝雄さん以来、2人目の快挙だ。村田が尊敬する桜井さんは、今年1月10日に亡くなった。その3日後、強い決意を込めて口にした言葉は印象的だった。「歴史を閉ざしてはいけない」。
女子バレーボールは、28年ぶりに銅メダルを獲得した。真鍋監督は「(日本バレーを)次の世代につなげる責任がある」と言った。師と慕う松平康隆さんが、昨年12月31日に死去。「得点はボールが落ちた時に入る。背の高さは関係ない。勝負はコート上10センチ」の教えを胸に徹底して守備を強化。日本の伝統を守った。
「歴史」や「伝統」。五輪の大舞台で、どこまで関係があるのか分からない。88年大会の時、米満はわずか2歳だった。村田は桜井さんの時代は生まれてもいない。女子バレーも28年前に生まれていた選手は竹下らわずかだ。それでも、歴史をつなぐ、伝統を守る、その思いが力になる。
大会前、日本選手団の上村団長に「女子サッカーの金メダルは難しいのでは」と話した。冷静に米国との戦力を分析して言ったつもりだったが、強く否定された。「1度頂点に立ったのだから、また同じ結果を出す力はある。過去にメダルをとった競技には、再びメダルをとる可能性がある」。柔道は金メダル1個に終わったが、その言葉には説得力があった。
今大会は「○年ぶり」が多かった。日本が五輪に参加して100年目の大会だからこそ、選手たちも「歴史」や「伝統」を意識したのかもしれない。レスリングの「八田イズム(八田一朗会長)」、柔道の「精力善用(故嘉納治五郎師範)」、競泳の「泳心一路(故古橋広之進会長)」。長い間の積み重ねが日本のスポーツを支えてきた。そして、これからも日本のスポーツを支えていくはずだ。【編集委員・荻島弘一】