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  1. コラム

名言はこうして生まれた

これから20年かけて金を目指します

イタリアのガリアッツォに敗れ2位の銀メダルを獲得した山本博(撮影・加藤哉)

イタリアのガリアッツォに敗れ2位の銀メダルを獲得した山本博(撮影・加藤哉)

<アーチェリー・山本 博~2004年アテネ五輪~>

 04年アテネ五輪、アーチェリーの山本は銀メダルを決めた直後に記者に囲まれた。84年ロサンゼルス五輪の銅以来のメダルに「次は金メダルですね」の質問が飛ぶ。答えは「これから20年かけて金を目指します」だった。選手寿命の長い競技だからこその味のある発言。今年50歳の山本は、8年前を静かに振り返った。

 山本 オリンピックの名言は、先に考えていると思っていた。僕が考えたのは、せいぜい「中年の星」ぐらい。考えず、フッと出たのがあの言葉。ただ、メダルなら20年ぶりだというのは頭にありました。2年前の釜山アジア大会で優勝したんです。ニューデリー大会(82年)で勝って以来で「ああ、20年ぶりなんだな」と。

 日体大の学生だった84年に銅メダルをとった。「次(88年ソウル五輪)は金メダルをとる」と公言した。しかし、ソウルでは8位。「悔しくて、悔しくて仕方なかった」。92年バルセロナ五輪は17位で「もう、やるせなくて…」、96年アトランタ五輪は19位。精神的に追い詰められていた。

 山本 スポーツっていうのは、こんなに無常感のあるものなのかと。努力しても努力しても裏切られ続けて。ちっとも、いいことはない。世の中はスポーツはいいというけれど、どこがいいんだと思っていた。努力は、報われないことばかり。そんな思いでいたら、シドニーは落選ですよ。

 競技を始めて10年で銅メダルまでいったが、その後は挫折の連続だった。筋トレをし、練習方法を変え、試行錯誤を繰り返したが、結果は出なかった。一番苦しかったのは、40歳を前にしたシドニー五輪後。真剣に引退も考えたという。

 山本 スポーツって、保証されない結果を求めて頑張るもの。どうせ勝てないから適当にやるんじゃなくて、勝てないかもしれないけど一生懸命やる。若いころは、自分の心の中にそれがあったけれど、年とともに純粋な気持ちが薄らいでいた。社会では純粋なだけではダメだけど、アーチェリーだけは純粋になろう。そう心に決めた。心の葛藤があって、悟りが開けたんですね。

 2大会ぶり、同一競技では日本人最多の5度目の五輪出場となったアテネでは「結果を気にせず、最後まで自分のやってきた道のりを信じよう」と決意して臨んだ。20年前とは違って、家族もできた。「息子(長男純太郎君)に胸を張れる試合をしよう」という思いを胸に銀メダル。そして、あの名言が生まれた。

 山本 メダルをとる大変さは分かっていますから、軽はずみなことは言えなかった。それで、銀メダルまでの同じ年月の「20年かけて」になった。20年後は61歳。年齢的なことを考えたら、とても理解できない言葉かもしれないけれど。

 「公約」した金メダルの24年五輪まで、あと12年になった。ロンドン五輪選考会で敗れ、北京に続き2大会連続で出場の道が閉ざされた。それでも、競技レベルは落ちていない。09年には14回目の世界選手権に出場、同年に自身の日本記録を19年ぶりに更新した。進化は続けるが、もちろん年齢との闘いはある。

 山本 これまでは(元プロ野球の)工藤君が支えになっていた。今は(J2横浜FCの)カズを見て、頑張っている。アテネの時ブリッジだった歯は、4本がインプラント。乱視でレーシックの手術もしたし、老眼もきつくなった。でも、プレーに最も影響しているのは執着心が弱くなったこと。すぐ「まあ、いいか」と思ってしまう。今は、アーチェリーを通じて執着心を復活させる方法がないかを考えているんです。

 アテネ五輪時は大宮開成高の教諭だったが、現在は日体大の准教授。アーチェリー部の指導をしながら、自身の練習も欠かさない。毎日入浴後には「モチベーションを保つために」スクワットと腕立てを100回ずつこなしている。もちろん、頭の中には24年五輪での金メダル獲得もある。

 山本 もう1度、オリンピックで自分の技を披露してみたい。金メダルは、アテネの時の10分の1か20分の1かの奇跡。でも、可能性が残されているなら、やらないともったいないでしょ。フッと出た「これから20年」だけど、それが今の自分を支えている。僕の性格からして、61歳まではやめないでしょうね。まず61まで元気に生きていることだろうけど(笑い)。

 自らの発した言葉に支えられ、競技を続ける山本。銅から銀へかけた20年が濃密だったからこそ、次の20年に期待がもてる。まだ開催地も決まらない24年五輪だが、もしかしたら「山本先生」の胸に金色のメダルがかかっているかもしれないと思った。(敬称略)

◆山本博(やまもと・ひろし) 1962年(昭37)10月30日、横浜市生まれ。横浜・保土ケ谷中でアーチェリーを始め、横浜高で総体3連覇、日体大で学生選手権個人4連覇。84年ロサンゼルス五輪銅、04年アテネ五輪銀メダル。夏季五輪5大会出場は日本最多。

2月16日付日刊スポーツ本紙より

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