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コラム Nikkan Olympic Column
敗者の美学 五輪コラム 敗者の美学

 勝者がいれば、必ず敗者がいる。「敗者の美学」では日本人選手はもちろん、海外の選手も含めた「敗者」の人間ドラマをクローズアップ。記者が思い入れたっぷりに語ります。

佐々木「途中から楽しくて」侍の大熱戦/バドミントン

<佐々木翔:バドミントン男子シングルス>

 侍が華々しく散った。バドミントン男子シングルスの準々決勝で敗退した佐々木翔(30=トナミ運輸)は「このためにやってきたんだな。方向性に間違いはなかった」と、すがすがしく語った。08年北京五輪金の世界ランク1位、林丹(中国)に1-2。世界王者相手に時速400キロともいわれるジャンピングスマッシュを連発し、完全燃焼した。

 競技へのストイックな姿勢から、外国人選手には「サムライサウスポー」と呼ばれる。試合中は笑顔を見せない。ガッツポーズもしない。好きな言葉は「行雲流水」。すべては、流れる雲が覆うテムズ川沿いの街ロンドンへ向けてだった。

 東京・関東一高から注目された。しかしアテネ五輪も北京五輪も代表落ち。肉体改造で体重を10キロ増やした。重いラケットで強打を磨き、股関節の可動域も広げた。昨年6月のインドネシアオープンで「何十回負けたか分からない」林丹に初勝利。昨年3月の世界ランク29位から急上昇した遅咲きの、初の五輪は「林丹と戦うため」にあった。

 北京では1ゲームも落とさなかったチャンピオンを苦しめた。満員の会場を味方に付け、終盤は「ササキコール」に包まれた。最後は手の指と足をつりかけ、舛田圭太コーチが「120%戦ってくれた」と涙した75分間の熱戦。「途中からラリーしているのが楽しくて、もう少し長くやりたいなあと」。コートで大の字になった佐々木はようやく笑顔を見せ、名残惜しそうにロンドンから去った。【近間康隆】

 ◆佐々木翔(ささき・しょう)1982年(昭57)6月30日、北海道・北斗市生まれ。上磯中から関東一高へ進み、2年連続総体シングルス準優勝。02年釜山アジア大会代表。全日本選手権は03年準優勝、07年初制覇。11年世界選手権8強。左利き。171センチ、75キロ。

 [2012年8月4日9時54分 紙面から]



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