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コラム Nikkan Olympic Column
コーチの流儀 五輪コラム

コーチの流儀

 五輪に向けて日々闘っているのは選手だけではない。スポットライトを浴びるアスリートの背後には、必ず優れた指導者たちがいる。ロンドンの表彰台を目指し、さまざまなアイデアを持ち、独自の工夫を凝らしている。そんなコーチたちの指導哲学に迫る。

好きになれば責任とる/栄和人監督

08年、北京五輪で金メダルを獲得した吉田を肩車しガッツポーズする栄監督
08年、北京五輪で金メダルを獲得した吉田を肩車しガッツポーズする栄監督

 今や日本が誇るメダル量産種目となった女子レスリング。その隆盛を支えているのが、日本代表の栄和人監督(51)だ。女子指導のパイオニアとして指導歴は20年以上。現在も愛知・至学館大(旧中京女子大)の女子レスリング部監督として、ロンドンで五輪3連覇を狙う55キロ級の吉田沙保里(29=ALSOK)ら30人を指導する。基本は「選手と恋愛すること」。選手との絶妙な距離感を保ちながら生活のすべてを女子指導にささげて、世界女王10人を育てあげた。

 「行け、攻めろ、出ろ! そうだ。よし、いいぞ」。愛知・大府市の至学館大レスリング場、頭をそり上げた栄が声を振り絞る。30人の選手の汗が、湯気になる。身ぶり手ぶりの指導が一段落すると、マット脇のソファにドカッと腰を下ろして言った。

 栄 女子の指導は大変だよ。男子なら1を言えば10理解してくれるけれど、女子は1から10まで全部言わないとダメ。怒鳴ることもあるけれど、そのままだと選手は離れていく。怒りっぱなしにできないんだよ。選手との信頼関係がなければ、指導はできないよ。

 90年から女子の指導を始めた。手探り状態で、手本にするコーチもなく、試行錯誤だった。もともと神経質で気を使いすぎるタイプ。選手との関係に悩み、苦しんだ。「指導から逃げるために」現役を続け、自分の練習に時間をさいた。

 栄 高田さん(裕司=現日本協会専務理事)に「中途半端にやるな。指導をするなら、選手はやめろ」と言われて気がついた。すべての時間を使わないと、いい指導はできない。技術を教えるだけではなく、私生活まですべて。そこまで向き合って、指導者だと。

 1日24時間、1年365日を指導にあてた。07年に中京女子大にコーチとして招かれると、自腹でローンを組み4000万円の一軒家を購入した。普段の生活から面倒をみるため、選手の寮にした。選手たちとの距離は、一般的な女子選手と男性コーチよりも近い。指導者として「選手との恋愛」をしているのだ。

 栄 誤解されると困るけれど(笑い)、選手全員を好きになることが必要。もちろん、レスリングを愛することも。指導は感性。特に理念があるわけじゃないよ。ただ、選手との関係性ができれば、自然と指導方法もできてくる。

 他の女子競技の指導者に教えを請うこともしなかった。実践で考えた。結論は、徹底して見ること。外せない用事がある時は、練習時間を変える。内容に納得がいかないと、深夜まで練習を続けることもある。

 栄 選手にとっては迷惑だと思うね。こっちの都合だから。ただ、練習はすべて見たい。内容をすべて知っておきたいから。

 話を中断して、マットに飛び出した。身ぶり手ぶりの指導が続くが、突然言葉が止まる。そして「そこから先は、言葉にするのは難しい。感覚だから。とりあえず、やってみて」。乱暴にも見える教え方だが、理屈で選手を納得させようとはしない。自分が分からないこと、できないことは正直に言う。飾らず、裸になって選手を指導する。

 栄 部の豆まきで鬼をやったら、最後は捕まってパンツを脱がされ、半ケツ状態にされた。まあ、これは冗談だけど(笑い)。選手に対して素を出すことは大事。もちろん男としてはもてたいし、かっこよくありたいけれど、無理に飾り立てても仕方ない。ありのままの自分でいないと。

 もともと女子の指導がしたかったわけではない。88年ソウル五輪後、肝炎で生死をさまよった。集中治療室(ICU)の1カ月間で考えたのは人生の目標。84年ロサンゼルス五輪出場を逃し、87年の世界選手権3位で金メダルが期待されたソウル五輪も4回戦敗退。自分が果たせなかった夢を後進に託したいと思った。

 栄 福田さん(富昭=現日本協会会長)に「代表のコーチがしたい」と言ったら「男子は無理。女子をやらないか」と言われた。迷っていると「五輪種目になるから」と言われ、それで決めた。なかなか、五輪種目にならなかったけど。

 90年に女子レスリング部を作った京樽に監督として入社、自分を慕ってくる女子選手を集めた周栄クラブでも指導し、中京女子大に移った。女子指導15年目、04年アテネ五輪の吉田と伊調馨によって、金メダルコーチになった。それでも、選手たちとの関係は変わらない。今も教え子たちとの「恋愛」は続いている。

 栄 強くなりたいと願う選手を強くすること。それが指導者の責任。好きになれば、責任はとるでしょ。本当に2人は最後まで責任をとったけどね(93年に指導する坂本涼子と結婚。離婚後、08年にはやはり教え子の岩間怜那と結婚)。

 照れくさいのか、冗談めかして笑った。そういうところにも指導者として、男としての味がある。指導者と選手も、人間と人間。最高の関係があるからこそ、最高の結果が出る。圧倒的な指導実績が、選手と関係の重要性を教えてくれている。(敬称略)【荻島弘一】

 ◆栄和人(さかえ・かずひと)1960年(昭35)6月19日、鹿児島県奄美市生まれ。相撲、柔道を経て鹿児島商工高(現樟南高)でレスリングを始め、日体大1年まで116戦全勝。83年に全日本フリー62キロ級で初優勝し、同年アジア選手権にも優勝したが、84年ロサンゼルス五輪は赤石光生に敗れ出場できず。同級で87年世界選手権銅、88年ソウル五輪は4回戦敗退。90年に京樽に入社し、女子レスリング部監督に就任。07年に中京女子大付高教諭に赴任。08年から同大教授。04年から全日本女子ヘッドコーチ、08年から日本協会女子強化委員長。

◆栄和人が指導した世界女王 浦野弥生(70キロ級)、飯島晶子(65キロ級)、坂本涼子(57キロ級)、宮崎末樹子(61キロ級)、浜口京子(72キロ級)、坂本日登美(51キロ級)、吉田沙保里(55キロ級)、伊調 馨(63キロ級)、伊調千春(48キロ級)、西牧未央(63キロ級)。

(2012年2月14日付、日刊スポーツ紙面より)

 [2012年7月8日19時22分]



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