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コラム Nikkan Olympic Column
コーチの流儀 五輪コラム

コーチの流儀

 五輪に向けて日々闘っているのは選手だけではない。スポットライトを浴びるアスリートの背後には、必ず優れた指導者たちがいる。ロンドンの表彰台を目指し、さまざまなアイデアを持ち、独自の工夫を凝らしている。そんなコーチたちの指導哲学に迫る。

レース前に晩酌…それも計算/山下佐知子第一生命監督

3月11日、名古屋ウィメンズマラソンで尾崎(右)は山下監督に祝福される
3月11日、名古屋ウィメンズマラソンで尾崎(右)は山下監督に祝福される

 ロンドン五輪を目指す指導者にスポットを当てた「コーチの流儀」は今回が最終回。大トリを飾るのは女子マラソンで92年バルセロナ五輪4位の山下佐知子監督(47=第一生命)。09年世界選手権銀メダルの尾崎好美(30)を18歳からじっくり育て、日本代表のエースへと成長させた。25年前にマラソンに生きることを決意し、故郷・鳥取を飛び出した情熱の人。選手としての夢をかなえ、次は指導者として、20年ぶりの五輪に帰ってきた。【取材・構成 佐藤隆志】

 ロンドン切符がかかった3月11日の名古屋ウィメンズマラソン。背水の陣で臨んだ尾崎は、サバイバルレースを制した。昨年の世界選手権は18位と惨敗し、続く横浜国際も木崎に競り負け2位。三度目の正直となった名古屋で、日本人トップの2位でゴール。山下監督は尾崎と抱き合い、喜んだ。その姿は師弟というより、まるで姉妹のようだ。

 山下 あの時、好美ちゃんに「喜んだ方がいいかも」って言ったんです。うれしげにした方が「これ落とせない」って思うんじゃないかな、って。

 そう言うと「ふふふっ」と楽しげに笑った。

 教職に就いた25年前、大きな決断をした。中学2年の時に父を病気で亡くし、母と妹の母子家庭。経済的に苦しい中、大学まで卒業させてもらった。母親を安心させるために就いた職を、わずか4カ月で辞した。

 山下 大学まで行かせてもらって、地元で就職するのが一番、家族のためじゃないかなと思っていた。自分でもそうしなければいけないって。でも先生になったけど、基本的に陸上にしか興味がなかった。

 周囲の反対を押し切り、1学期の終了式が離任式となった。42・195キロ走った経験もないのに生徒の前で「マラソンでオリンピックに出ます」と宣言。自ら十字架を背負った。その時から、山下佐知子にとって陸上とはマラソンだった。

 京セラでの選手時代、華やかな活躍の裏で今につながる「きっかけ」をもらった。後に日本陸連強化副委員長を務める浜田安則氏に師事。そこでやりとりした練習日誌でのこと。

 山下 ケガが多くてもうやめた方がいいなということが何度もあった時、「そんなことなくして一流になれた人はいません」っていう一文が練習日誌に入っていた。大した言葉じゃないけど、ものすごく自分の中で響いた。悩んで、絶対伸びないからやめなきゃと思っているところで「こういうことあることなんだ」って思えた。今でもそういう目で選手を見る。悩んでいても、その子は分からないんだけど「超えるべきところだよな」って思う時があります。

 実際、尾崎は第一生命に入社して初マラソンまで丸8年かかった。故障が多く、継続的な練習を積めなかったからだ。それでも「カメの歩み」に付き添い、入社10年目の09年世界選手権で銀メダル獲得。自身の経験を糧に成功をつかんだ。そしてもう1つ。女性ゆえのきめ細やかさ、である。

 山下 例えば食事でお酒を少し飲んだって、なんでそれがマイナスなの? って。いっぱい飲んだらだめですよ。でもグラス1杯くらい。あと恋愛なんかでも、指導者が知らないよりは知っていた方がいい。例えばデートに行きます、ってなった時にスケジュール調整もした方が選手の体にも負担が少ない。隠さなくても、と思っちゃうんです。

 あるテレビのドキュメンタリー番組で、尾崎は山下監督に勧められるまま晩酌していた。大事なレース前にもかかわらず、である。だが、そこに山下監督ならではの指導術があった。

 山下 少しだけですけど。ほかの子にはしない。尾崎は好きで、ちょっと好奇心もあるから喜ぶんです。だから、かえってそういう仕掛けをして楽しませてあげないとダメ。計算です。

 元来の負けず嫌いは「負けることを受け入れられなかったり、負けたところから学ばないことは、もっと負けだと思っている」。そして迎える20年ぶりの五輪にどんな思いを抱くのか。

 山下 選手の時に楽しめなかったんですよ。何か不安感を持ったままだった。魔物がすむというけど、そういうところもうまくツッコミどころにして、楽しみながら「全部見てやるぞ」みたいな。それも尾崎が楽しめるように。「やっぱりオリンピックは違うね」って、2人一緒に共有しながら行きたいですね。

 「マラソンのサッちゃん」の顔がほころんだ。(おわり)

 ◆山下佐知子(やました・さちこ)1964年(昭39)8月20日、大阪市生まれ。鳥取東高時代は800メートルで3年連続インターハイ出場。鳥取大教育学部を経て同大付属中の保健体育の教員となったが退職し、京セラ入り。初マラソンとなった89年3月の名古屋国際で2時間34分59秒の4位となり、当時の初マラソン日本最高タイ記録。91年世界陸上東京大会で銀メダル、92年バルセロナ五輪は4位。96年から第一生命女子陸上部監督。家族は夫。

(2012年4月17日付、日刊スポーツ紙面より)

 [2012年7月15日0時52分]



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