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コラム Nikkan Olympic Column
負けない!日本~スポーツ100年~ 五輪コラム

負けない!日本~スポーツ100年~

 金メダルのドラマが感動を生み、日本人を勇気づけた。日本のスポーツを統括する大日本体育協会(現日本体育協会)創立は、101年前の1911年(明44)。日本の五輪参加もロンドン大会で100年となる。逆境をはね返した金メダリストの偉業を振り返る。【編集委員 荻島弘一】

肩負傷 棄権拒否「ゴキッ!!」から連覇/レスリング上武洋次郎

五輪連覇を果たしたフリースタイル・バンタム級(57キロ以下)の上武洋次郎(現姓小幡)
五輪連覇を果たしたフリースタイル・バンタム級(57キロ以下)の上武洋次郎(現姓小幡)

<1964年東京、1968年メキシコ五輪>

 日本の「お家芸」といわれるレスリングで、男子の金メダリストは19人を数える。その中で、唯一五輪連覇を果たしたのがフリースタイル・バンタム級(57キロ以下)の上武洋次郎(現姓小幡)。64年東京、68年メキシコ大会での連続金メダルは、左肩脱臼の痛みに耐えての偉業だった。戦いは、東京大会の決勝リーグ初戦、世界王者イブラギモフ(ソ連)との試合で始まった。

 上武 突然左肩が動かなくなった。外れたのは分かったけれど、やめるわけにいかない。すぐに笹原(正三)さん(コーチ)が入れてくれた。簡単に入ったから、脱臼に気がつかない人もいたんじゃないかな。左腕は使えないから、その後は右手だけ。試合中は興奮しているからなのか、痛みは不思議になかった。試合後はすごく痛かったけど。

 普通なら棄権してもおかしくない、いや棄権するような負傷。それでも試合を続行して前年の世界選手権覇者に勝ち、金メダルを手にした。もっとも、これも「伝説」の序章。五輪2度目のメキシコ大会は、もっと悲惨だった。優勝を決めるタレビ(イラン)戦、再びアクシデントは起きた。

 上武 飛行機投げにいった時に外れた。「こんなことで負けられない」と思ったけれど、肩が入らない。2年前に固定手術をしたから、入りにくくなっていたんだ。大会役員がドクターストップを言ってきた。左腕がぶらぶらだったから。

 2センチも肩の骨が飛び出した。5分間のタイムをとっての治療。セコンドの笹原は「いつも彼は、この状態で試合をしているんだ」と棄権を拒否した。上武自身も「絶対にやります」と譲らなかった。「ゴキッ」。スタンドの悲鳴をかき消すほどの大音響で、肩が入った。試合に戻ると2点のビハインドを追いつき、五輪連覇を決めた。そのまま左肩を押さえてマットに倒れ込んだ。表彰式でも固定した腕をつったままだった。

 上武 周囲には「大変だったね」と言われるけど、自分自身はあまり悲壮じゃなかった。右手だけでも勝つ自信はあったし、左腕を固定することで、逆に守りは強くなったかも。東京大会以来、減量をすると筋肉も落ちて外れやすくなっていた。手術した後は大丈夫だったんだけど、やっぱり五輪は力が入るのかな。

 壮絶な優勝にもかかわらず、当時はあまり騒がれなかった。理由は、その経歴にある。早大2年時に米オクラホマ州立大に留学。東京大会に帰国して出場し、大会後はすぐ渡米した。競技人生のほとんどは米国。全米大学選手権4連覇などで米国で「60年代最高のレスラー」と表彰されたが、日本での実績はほとんどなかった。世界選手権にも1度も出ていない。国際大会は2度の五輪だけだ。

 上武 今と違って米国は遠かった。高校の遠征の時は1週間前から合宿でマナー講座があったし、行きは船だった。オクラホマ州立大に入ってからは勉強が大変。簡単に行き来できる時代じゃなかったから、帰国するのは五輪の時だけ。

 メキシコ大会直後に結婚し、姓も小幡に変わった。妻の実家の旅館業を引き継ぎ、北関東有数のホテルに育てた。レスリングとは関係ないところで成功した。表舞台から離れていたことで、偉業が語られることも決して多くなかった。

 上武 同じ時代に(アニマル)渡辺さんもいたし、自分は日本にいないから注目もされなかった。でも、それが良かった。もともと騒がれるのは好きじゃないし、金メダルなんか引退したら何の役にも立たない。思い出したように「ああ、あの脱臼の」と言われるぐらいで、ちょうどいい。

 2年前、ホテルの仕事を息子に譲った。その後、母校館林高レスリング部OB会長に就任。自ら運転する車で、孫のような後輩を早大に出げいこに連れて行く。いまだに左腕は肩より上に上がらない。それでも上武は今、「第2のレスリング人生」を楽しんでいる。(敬称略)

 ◆64年東京五輪レスリング・フリースタイル・バンタム級 大会前に帰国して激戦区の代表になった21歳の上武は順調に決勝リーグ進出。世界王者イブラギモフ(ソ連)戦で左肩を脱臼したが、得意のタックルで2-0と判定勝ちした。続くアクバス(トルコ)戦は警告で1ポイントを先行されたが、焦らず2-1で逆転勝ち。2連勝で優勝を決めた。

 ◆68年メキシコ五輪レスリング・フリースタイル・バンタム級 7回戦のタレビ(イラン)戦で左肩を脱臼して2ポイントを先制されたが、その後攻め続けて2ポイントを返し引き分け。優勝を争っていたアリエフ(ソ連)とベーン(米国)が引き分けて両者失格。この時点で五輪連覇が決まった。

 ◆上武洋次郎(うえたけ・ようじろう)現姓・小幡洋次郎。1943年(昭18)1月12日、群馬県出身。館林高から早大に進学。2年時に米オクラホマ州立大に留学。東京、メキシコ五輪レスリング・フリースタイル・バンタム級で連覇。

(2011年9月27日付日刊スポーツ紙面より)

 [2012年7月9日18時49分]



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