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コラム Nikkan Olympic Column
負けない!日本~スポーツ100年~ 五輪コラム

負けない!日本~スポーツ100年~

 金メダルのドラマが感動を生み、日本人を勇気づけた。日本のスポーツを統括する大日本体育協会(現日本体育協会)創立は、101年前の1911年(明44)。日本の五輪参加もロンドン大会で100年となる。逆境をはね返した金メダリストの偉業を振り返る。【編集委員 荻島弘一】

「新宿コマ」で学んだ演技力/体操・具志堅幸司

<1984年ロサンゼルス五輪>

 体操ニッポンを守ったのは、具志堅幸司だった。84年ロサンゼルス五輪男子個人総合で金メダルを獲得。遠藤幸雄、加藤沢男に次ぐ日本人3人目の王者誕生のカギは「新宿コマ劇場」にあった。幻に終わった80年モスクワ五輪出場。「自費でも出たい」という願いはかなわず、失意の中で向かったのが新宿コマだった。

 具志堅 練習する気もなくて、しばらく体操から離れた。相撲やテニスもやった。舞台にも行った。コマ劇場で北島三郎や美空ひばりを見た。軽い気分転換のつもりだったけど、衝撃を受けた。素晴らしいのは、観客との一体感。客席のすべての視線が注がれる。自然と拍手が起こる。体操も同じだと思ったんです。

 着地を決め、両手でガッツポーズ。同時に白い歯を見せて、笑顔をつくる。どうすれば観客にアピールできるか、観客の視線を集められるか。ピタリと着地を決めた後、ガッツポーズまでの「間」も考えた。得意のつり輪では、十字懸垂の静止時間を規定よりも長くして観客の拍手を誘った。

 具志堅 着地で「はい、おしまい」では、つまらないでしょ。演技が始まる前から、最後のガッツポーズまでが体操。試合では観客全員に見てほしかった。中国の選手と同時に演技をすると、1万人のうち半分の5000人は中国選手を見る。だから、わざと演技を始めるのを遅くして、中国選手が終わるのを待ったりした。本当は、すぐに始めなければいけないけど。

 「具志堅スマイル」は代名詞だった。「ニコニコしていれば、ライバルにもプレッシャーをかけられる」と、鏡に向かって笑顔の練習もした。北島三郎や千昌夫の表情をまねたことも有名になった。しかし、新宿コマで学んだのは、それだけではなかった。彼らの「プロ」の姿勢が、精神面の支えになった。

 具志堅 北島三郎が、お客さんからリクエスト曲を募る。他人の曲でも完璧に歌う。作詞作曲が誰か、ヒットした年もスラスラと出てくる。2000曲はレパートリーがあったらしい。上京直後に歌が売れなくて「流し」をやっていたから。その時に覚えた曲だという。苦労は必ず身になる。苦しみは、いつか自分のためになると思った。

 靱帯(じんたい)損傷やアキレスけん断裂など大けがに見舞われた。やっとつかんだ五輪舞台も、大会ボイコットで消えた。苦しんだからこそ、学ぶものは大きかった。「出たい」という気持ちだったモスクワ大会から4年「勝ちたい」思いで臨んだロス五輪の個人総合。持ち点5位からの奇跡の逆転は「体操の美しさを、審判ではなく観客に見てほしい」という純粋な気持ちがもたらした。

 具志堅 「美しい体操」は、競技を始めた中学時代(大阪・大正中央)からの課題だった。顧問が美術の先生で、演技後には「きれい」とか「美しい」といわれた。美しさの基本は体の線、倒立が一直線になることが大切。日本はこれまで美しさを武器にしてきた。それは、今の選手にも伝わっていると思います。

 日体大監督、08年北京五輪監督として「美しさ」を求めてきた。日本のエース内村航平ら多くの選手を育てた。強化の最前線からは離れたものの、ロンドン五輪を楽しみにする。

 具志堅 個人総合は体操競技の原点。6種目やって、全身運動になるんです。それが創始者ヤーン(ドイツ)の思想。内村には、28年ぶり4人目の日本人五輪個人総合金メダリストになってほしい。

 ロス五輪、体操会場へのバスでイメージトレーニングをした。表彰式の自分の姿に、自然と涙が流れた。あれから28年、具志堅の頭には、金メダルを手にする愛弟子、内村の姿がイメージされている。(敬称略)

 ◆84年ロサンゼルス五輪体操男子個人総合 具志堅は首位と0・175差の5位でスタート。高得点ラッシュで点差が縮まらなかったが、3種目目の跳馬で思い切った策に出る。難度を下げて着地を決める作戦で10・0をマーク。首位ビドマー(米国)2位李寧(中国)に次ぐ3位につける。ここで場内の電光掲示板が故障。5種目目の鉄棒9・95でビドマーを逆転し首位に立つと、最終の床も9・90で0・025差で逃げ切り優勝を果たした。「電光掲示で途中経過が分かったら、床で米国人審判から9・90は出なかったかも。ラッキーでした」と具志堅。72年ミュンヘン五輪の加藤沢男以来、12年ぶりの個人総合日本人王者となった。

 ◆具志堅幸司(ぐしけん・こうじ)1956年(昭31)11月12日、大阪市生まれ。清風高から日体大へ進み、84年ロス五輪では個人総合金など金2、銀1、銅2のメダルを獲得。世界選手権でも金2、銀3、銅5のメダルを獲得した。日体大教授、日本協会理事。

(2011年10月4日付日刊スポーツ紙面より)

 [2012年7月10日13時47分]



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