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コラム Nikkan Olympic Column
負けない!日本~スポーツ100年~ 五輪コラム

負けない!日本~スポーツ100年~

 金メダルのドラマが感動を生み、日本人を勇気づけた。日本のスポーツを統括する大日本体育協会(現日本体育協会)創立は、101年前の1911年(明44)。日本の五輪参加もロンドン大会で100年となる。逆境をはね返した金メダリストの偉業を振り返る。【編集委員 荻島弘一】

五輪代表奪った先輩に指導され成就/レスリング・佐藤満

88年9月30日、ソウル五輪レスリングのフリー52キロ級で金メダルを獲得し、ガッツポーズする佐藤。左は高田コーチ
88年9月30日、ソウル五輪レスリングのフリー52キロ級で金メダルを獲得し、ガッツポーズする佐藤。左は高田コーチ

<1988年ソウル>

 過去24個と、柔道、体操に次ぐ金メダル数を誇るレスリング。女子はロンドン大会での量産が期待されるが、男子は88年ソウル大会を最後に金メダルから遠ざかっている。最後の男子金メダリストがフリー52キロ級の佐藤満。最有力候補と期待され、本人も大会前から獲得を公言し、圧倒的な強さで金メダルに輝いた。

 秋田商でタイトルを総なめにし、日体大の黄金時代を築いた。「ミツル(満)スペシャル」と呼ばれたアンクルホールドを武器に競技生活は順風だった。しかし、挫折もあった。84年ロサンゼルス五輪、確実と言われた代表の座を高田裕司にさらわれた。

 佐藤 東側のボイコットで、内心では「金メダルはもらった」と思っていた。ガッツポーズしました。優勝して(競技を)やめるつもりだった。学校の先生になろうと思っていたから。でも、復帰した(高田)先輩に負けてロスへ行けなかった。負けたのだから、仕方がないことですけど。

 81年のユニバで優勝し、82年アジア大会では日本のフリーで唯一金メダル。同級には81年世界王者の朝倉利夫という強豪もいたが、22歳で迎えたロス五輪では金メダル候補にあげられていた。高田の復帰戦となった4次選考会では勝った。しかし、5月の最終選考会で負けて代表を逃した。

 高田 80年のモスクワ大会がなくなって引退したけど、体は動いた。83年世界選手権で52キロ級が勝てなかった(朝倉2位)から、伝統の階級を守りたい思いもあった。でも、最終選考会は、直前の試合で負けている満に勝ちたいという思いの方が強かった。

 佐藤自身は「ソウルに向けて気持ちを切り替えた」という。当時日体大監督だった藤本英男も「満はグチを言うような男じゃないから」と話す。しかし、突然復帰した高田に代表をさらわれて、悔しい気持ちがないわけはない。まして、相手は自分を日体大に誘ってくれた偉大な先輩だった。

 佐藤 大学は早稲田に決めていた。でも、高田さんが秋田まで来て「金メダルを目指そう」と。実家の近くの柳田(英明)さん(72年五輪金メダル)にも「日体大へ行け」と、三日三晩説得された。早稲田をあきらめ、日体大へ願書を提出した。その時誓ったのが「ロスで金メダル」だった。

 ロス五輪はテレビも見なかった。「観光旅行」と言い放った高田の76年モントリオール五輪に続く2個目の金は確実だと思った。東側が出てこない五輪で負けるはずがないとも思っていた。しかし、ニュースでまさかの敗退を知った。

 佐藤 その時は「何やってんだ」と思った。金メダルをとれば納得できるけど、負けたなんて。でも、先輩の「満の金メダルを奪ってしまって、悪いことをした」というコメントを聞いて、少し救われた。ソウルでは絶対に自分が金メダルをとると誓った。

 ソウル五輪の代表監督になった藤本は「満に金メダルをとらせるため」高田をコーチに招いた。高田は教諭だった群馬・館林高を休職し、五輪に向けて都内で行われていた「500日合宿」に参加した。国内無敵でスパーリング相手さえいなかった佐藤は、先輩でライバルだった高田との練習で着実に成長した。

 佐藤 特に、最後の4カ月は強くなったと思う。毎日先輩とのスパーリング。相手は世界のトップだから、自分の力が分かる。休職してまで来てくれたのは、今でも感謝しています。

 高田 満のソウル大会決勝の相手は、自分がロスで負けたトルステナ(ユーゴスラビア)だった。因縁を感じるね。オレが出しゃばらなければ、満はロスで金メダルをとって、ソウルでは連覇できた。オレが歴史を変えちゃった。いつもオレは満にとって目の上のたんこぶなんだよ。

 今、佐藤は日本協会男子強化委員長の要職にある。同専務理事の高田は強化本部長。ロンドン五輪に向けた強化で、意見がぶつかることもしばしばあるという。それでも、2人の思いは同じだ。「24年ぶりの金メダル獲得」。先輩後輩でライバル、2人の戦いは立場を変えても続いている。(敬称略)

 ◆88年ソウル五輪レスリングフリー52キロ級 初戦から6試合連続フォール勝ちと圧倒的な力で勝ち進んだ佐藤満は、決勝で前回大会金メダルのトルステナ(ユーゴスラビア)と対戦。高田裕司コーチ直伝の外無双などで5-2と第1ラウンドをリードすると、第2ラウンドもアンクルホールドなどで一方的に攻めた。残り51秒には勝利を確信するガッツポーズも飛び出し、13-2の大差で金メダルを獲得。セコンドの藤本監督、高田コーチに肩車されて公約通りの優勝を喜んだ。

 ◆佐藤満(さとう・みつる)1961年(昭36)12月21日、秋田県八郎潟町生まれ。秋田商、日体大、日体大大学院。92年バルセロナ五輪では初戦で右わき腹を骨折しながら6位入賞。95年から2年間、米ペンシルベニア州立大にコーチ留学。専大教授。

(2011年10月25日付日刊スポーツ紙面より)

 [2012年7月12日14時5分]



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