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コラム Nikkan Olympic Column
名言はこうして生まれた 五輪コラム 名言はこうして生まれた

 ドラマの数だけ言葉が残った。ロンドン大会で100年を迎える日本の五輪挑戦史、多くの選手たちが勝って笑い、敗れて泣いた。記録と記憶をつなぐ「言葉」を、当時の感動とともによみがえらせる。【編集委員 荻島弘一】

「今まで生きてきた中で、一番幸せです」

競泳女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した岩崎恭子(1992年7月27日)
競泳女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した岩崎恭子(1992年7月27日)

<競泳・岩崎恭子~1992年バルセロナ五輪~>

 92年バルセロナ五輪、14歳の金メダルに日本中が驚いた。競泳女子200メートル平泳ぎ、代表選考会2位で出場した岩崎恭子は、予選を2位で通過した。メダルを目指した決勝では、ラスト10メートルで世界記録保持者のノール(米国)をとらえ、林莉(中国)を抑えて1位でゴール。6日前に14歳を迎えた少女が、競泳史上最年少金メダリストになった。

 岩崎 目標は、長崎宏子さんの日本記録(2分29秒91)を更新して決勝に残ることでした。それが予選で自分でも驚くタイム(2分27秒78)が出て、満足している部分もあったんです。メダルは想像もしていなかった。順位も分からなかった。電光掲示板の1位を見た時は、うれしいというより、びっくりでした。

 88年ソウル五輪金メダルの鈴木大地は引退。当時の競泳陣の目標は、決勝進出だった。それが「本当に驚いた」と、監督だった青木剛も振り返る伏兵の金メダル。2分26秒65は、2位林莉と0秒20、3位ノールと0秒23の差。直後のインタビューで「今まで生きてた中で…」が飛び出した。

 岩崎 何で、と聞かれると困るんです。思った気持ちを出しただけ。(北島)康介ぐらいになれば優勝も考えるだろうけど、私は考えてもいなかった。うれしくて、幸せだった。それを言葉にしただけです。

 あどけなさの残る14歳の「今まで生きてた中で」という言葉が、金メダル以上に注目された。テレビの前で思わず「何年生きてんだよ」というツッコミをした人も多かっただろう。

 岩崎 日本に帰ってきて驚いた。バラエティー番組で使われたり、何が面白いのか分からなかった。大人の感覚は変だと思った。あの言葉ばかりが取り上げられるけど、その前にもインタビューに答えている。どこに行っても言われるのが嫌で、それからは絶対に使わなかった。金メダルを見ることもなかった。

 五輪に行くまでは注目されなかったが、帰ってきた途端に国民的ヒロインになっていた。金メダルとともに、常に自分につきまとう言葉。その後は記録も伸びず、平泳ぎに同い年の田中雅美が台頭した。「金メダリスト」の肩書と「今まで…」の言葉が、14歳の呪縛(じゅばく)となった。

 岩崎 2年ぐらいは本当に嫌で「人に何か言われるために水泳をやってきたんじゃない」と思っていました。もちろん、自分が出した成績はすごいし、誇りは持っていました。でも、人に騒がれたり、話題になったりして、ネガティブなことばかり考えていました。

 転機は、広島アジア大会代表から落ちた94年に訪れた。13歳で行って以来、3年ぶりに米サンタクララ国際に出場。本来ジュニア強化のための大会で五輪経験者が出ることはないが、五輪で「中2トリオ」と騒がれた背泳ぎの稲田法子とともに特例で参加した。率いたのは、北島を指導する前の平井伯昌コーチだった。

 平井 休日に遊園地に行った。「聞いてほしいことがある」と言われ、2人で電車に乗った。「(田中)雅美ちゃんもいるし、もう(水泳を)やめようと思っている」と。確か「物事には区切りがある。高校に入ったんだから、卒業までやれば」と言った。人間的な成長とともに記録が伸びるのが理想だけど、恭子ちゃんは先に記録が出た。精神的に苦しかったと思う。

 岩崎 平井先生といろいろ話をして、前向きになれた。法(ノリ)ちゃんが日本記録を出したのにも刺激を受けた。自分のタイムを1回忘れた。金メダルも、あの言葉も。過去のことを引きずっていても仕方がない。引きずっていたらアトランタにも出られなかったし、今も水泳にはかかわっていないかもしれない。

 アトランタ五輪は2分29秒32で10位。それでも呪縛から解き放たれて満足の笑顔を見せた。98年に20歳で引退し、その後は米国にコーチ留学。09年に元ラグビー日本代表の斉藤祐也と結婚し、昨年長女が誕生した。今、33歳になって一番の幸せは?

 岩崎 結婚したこと、子どもが生まれたこと、アトランタに出たこと、もちろんバルセロナも。「一番幸せ」と言ったから「幸せ」って考えますね。でも、比べられない。どれも一番。もっともっと「一番幸せ」を増やしたい。それが、前向きに生活することにつながると思うんです。

 自らの金メダルと言葉に苦しんだこともあったが、日本水連競泳委員として競技の普及に努める今、20年前を思い出して「よく言ったなと思いますね」と笑った。人間的な成長があったからこそ「今まで…」は岩崎自身にとっても名言になった。【荻島弘一】(敬称略、おわり)

◆岩崎恭子(いわさき・きょうこ) 1978年(昭53)7月21日、静岡・沼津市生まれ。沼津五中2年でバルセロナ五輪優勝。日大三島高-日大。米国にコーチ留学した後は、テレビのコメンテーターなどでも活躍している。92年時のサイズは157センチ、47キロ。

(2012年4月5日付日刊スポーツ紙面より)

 [2012年7月18日14時24分]





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