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コラム Nikkan Olympic Column
爲末大学 オリンピックを考える 五輪コラム 爲末大学 オリンピックを考える

 五輪に3度出場、世界選手権で2度銅メダルを獲得し、先ごろ引退したばかりの侍ハードラーが、独自の視点から五輪を斬る。社会派アスリートが現地で 見て、感じた世界最高峰の戦いを語る。

大舞台直後の言葉は凄く意味がある

 五輪ほどの大会になると、選手はインタビューを避けて通れない。たとえどんな結果に終わっても、メディアの前で語らないといけない。

 今回、柔道の平岡選手のインタビューでインタビュアーが「残念でした」と言って、彼はそこで、すいませんと答えていた。

 その後いろんなところで銀メダルを獲得したのに第一声で残念でしたというのはどういうことか、という批判の声があったので少しそれを書きたいと思う。

 まず、大前提としてメディアは果たして選手の味方なのだろうか? 日本メディアの特徴の1つに、応援型報道というのがある。アメリカにいても、イギリスでも自国の選手を多少は取り上げていても、応援の言葉を口にすることはまずない。試合後も淡々としていて、なぜ負けたのか、どこにミスがあったのかを当たり前のように聞く。選手もそれに慣れてはいるから淡々と答える。

 僕は選手を不必要に攻撃する必要はないけれど、不必要に守る必要もないと思っている。メディアは応援団ではなくて、やっぱり報道機関だから、選手たちに心のうちにある思いを引き出すのがインタビュアーの役割で、その質問は時に選手にとって辛辣(しんらつ)な言葉になる可能性もある。

 選手にとっての結果が満足いくものだったかどうかは、周囲には決められない。たとえ銀メダルでも悔しい人もいれば、僕のように銅メダルでもうれしい人もいる。世間にとって立派な成績だからうれしいわけではなくて、自分にとって誇らしい結果だからうれしい。

 平岡選手がインタビュアーの前に現れた時、果たして彼の心情がどちらであったか。悔しいのか、うれしいのか。その心情は本人にしか分からないのだけど、でもインタビューはある程度予想をつけないといけない。視聴者は選手が今、何を感じているのかを知りたがっていて、そして今回インタビュアーは平岡選手が悔しいと感じていると読んだんだと思う。そしてその読みが世間とずれて、批判が起きた。

 4年間を費やして、オリンピックに挑み、そしてそれぞれに結果がある。良かった人も、悪かった人もいて、単純にそれは実力や努力だけでは決まらず、運も作用する。それでも五輪は4年に1度しかなく、選手はその結果を受け取るしかない。

 北島君が100メートル平泳ぎで3度目の金メダルを目指し、結果は5位入賞だった。彼は一体ゴール後、何を思ったんだろうか。僕らは永遠に全ては分からないけれど、ゴール後ゆっくりと言葉を紡ぎだす姿を見て、それも含めて北島君の五輪なんだと思って見ていた。

 選手たちにはどんな言葉でもいいから思いを語ってほしいと思う。悔しい思いもうれしい思いも全部。五輪の舞台を体験できる人は少ない。その舞台を終えた直後に語るその言葉は、社会にとって、すごく意味のあるものなんだと思う。

 [2012年7月31日9時16分 紙面から]





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