負けない!日本~スポーツ100年~
金メダルのドラマが感動を生み、日本人を勇気づけた。日本のスポーツを統括する大日本体育協会(現日本体育協会)創立は、101年前の1911年(明44)。日本の五輪参加もロンドン大会で100年となる。逆境をはね返した金メダリストの偉業を振り返る。【編集委員 荻島弘一】
「かえる跳びパンチ」元祖だった/ボクシング・桜井孝雄
- 64年10月、東京五輪で金メダルを獲得した桜井孝雄
<1964年東京五輪>
ロンドン五輪前年のボクシング世界選手権で東洋大職員の村田諒太が銀メダルを獲得した。世界選手権では過去最高だが、五輪ではただ1人だけ金メダルをとった選手がいる。64年東京大会バンタム級の桜井孝雄(故人)。中大4年生の快挙は、日本を沸かせた。
桜井 金メダルをとって何もかも変わった。町を歩いていても、声をかけられた。「おめでとう」と。銀座で飲んでも、知らない人が払ってくれる。すごいことをした、と思った。もちろんメダルは狙っていた。ただ、勝てたのは運。東京開催は大きかったし、強豪が別ブロックで負けていったのもラッキーだった。
本人は控えめに振り返ったが、実力は圧倒的だった。千葉・佐原高時代に高校総体を制覇、ボクシングの名門中大に入学した。大学の2年先輩で60年ローマ五輪銅の田辺清は、初めてスパーリングした時の衝撃を忘れていない。拳を交えたからこその印象を口にした。
田辺 相手との間合いをとる天才だった。こちらが前に出ると引く。下がると出てくる。常に打たれない距離でボクシングができる才能は、天性のもの。とんでもないヤツが入ってきたと思ったね。強くなるのは間違いない、必ずチャンピオンになると思った。
田辺は中大卒業後に日刊スポーツ新聞社を経てプロ入り、世界戦直前で網膜剥離を患って引退し「悲劇のボクサー」といわれた。その天才にとっても、桜井の才能は驚異的だった。特にディフェンス。相手に打たせず、カウンターでポイントを稼ぐテクニックは、群を抜いていた。
桜井 相手のパンチは全部分かった。理屈じゃなくて見えた。自分で言うのもおかしいけれど、持って生まれたもの。打ってくる瞬間が分かるから、それに合わせてパンチを出す。五輪でも、それで勝った。
ボクシングスタイル同様に、言動もクールだった。端正な顔立ちで人気も抜群だった。当時のボクシング人気を背景にプロ入りし、65年6月に満員の後楽園ホールでデビューした。大学時代から練習をみてきた三迫ジム会長の三迫仁志は、当時の騒ぎを振り返る。
三迫 大変な注目度だった。絶対に負けさせられないし、金メダルにふさわしい試合をさせなければならない。相手選びにも気を使った。ただ、人気は最初だけだった。当時は「殴り合い」が求められていた。打たせずに打つスタイルはアマではよかったけれど、プロ向きではなかった。
桜井 誰だって打たれるのは嫌。それが分かっていて前に出ることはできなかった。批判されたけれど、関係ない。自分の体なんだから。競技をやめてからの方が人生は長い。打たれて体に影響が残っても、誰も責任はとってくれない。だから、自分を貫いた。
マスコミに「安全運転」とやゆされながらも、勝ち続けた。68年には、無敗のまま世界王座に挑戦。2回には王者ライオネス・ローズ(オーストラリア)からダウンを奪った。しかし、終盤はリードを守るために消極的になり、判定で敗れた。プロとして批判に甘んじていただけでなく、新しいパンチも考えた。三迫は「炎の男」輪島功一の代名詞「かえる跳びパンチ」が桜井のものだったという衝撃的な事実も明かした。
三迫 1度沈み込んで相手の視界から消え、跳び上がりながらパンチを出す。これだとカウンターを食わない。なかなか手が出ない桜井に、先に打たせることが狙いだった。ところが、それを見ていた輪島が「使わせてほしい」と言ってきたんだ。それで輪島のパンチとして有名になった。
桜井 彼は本当に努力家で、何でも取り入れた。あのパンチを使ったのは、東洋王座戦で1度だけ。それをまねたのだろう。がにまたの輪島がやったから「かえる跳び」になった。僕のは、もっときれいなパンチだったんだけど(笑い)。
桜井は71年、世界1位のまま引退した。喫茶店経営が軌道に乗ったこともあったが「殴り合い」から距離を置きたいという思いもあったのだろう。田辺は「ボクシングには人生観が出る。桜井は当時のプロには向かなかった」という。三迫も「ともにすごかったが、輪島とは経歴や性格が対照的だった」と説明した。
桜井は、東京・築地で女性や中高年の健康志向を狙ったワンツージムを営んでいた。「殴り合いはできなかったけれど、ボクシングをやってきたことは後悔していない。これがあるしね」。そう言って見つめたジムの壁には、日本で唯一のボクシングの金メダルが輝いていた。(敬称略)
◆64年東京五輪ボクシング・バンタム級 初戦から4試合を危なげなく勝ち上がった桜井は、決勝で韓国の鄭申朝と対戦。1回に2度、2回に2度と計4度のダウンを奪って完勝し、金メダルを獲得した。ボクシングの減量は勝ち続ける限り続くため決勝までの10日間は地獄。「三宅さん(義信=重量挙げ金メダル)は1日で終わっていいなと思った」。表彰式で涙がなかったことを報道陣に聞かれると「減量が続いて、涙になる水分も残っていなかった」と名言を吐いた。
◆桜井孝雄(さくらい・たかお)1941年(昭16)9月25日、千葉県生まれ。佐原高から中大へ。63年全日本アマチュア選手権で優勝、東京五輪翌年の65年6月にプロデビュー。東洋バンタム級王座獲得など通算30勝(4KO)2敗で71年6月に現役引退。12年1月、ロンドン五輪開催を目前に死去。享年70歳。
(2011年10月18日付日刊スポーツ紙面より)
[2012年7月11日12時46分]
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