負けない!日本~スポーツ100年~
金メダルのドラマが感動を生み、日本人を勇気づけた。日本のスポーツを統括する大日本体育協会(現日本体育協会)創立は、101年前の1911年(明44)。日本の五輪参加もロンドン大会で100年となる。逆境をはね返した金メダリストの偉業を振り返る。【編集委員 荻島弘一】
欧州まねて生まれた体操ニッポン/体操・小野喬
- 4大会で日本人最多の金5銀4銅4、計13個のメダルを獲得した小野喬
<1952年ヘルシンキから4大会>
12年ロンドン五輪でメダル量産が期待される日本体操陣。その先駆者となったのが小野喬だ。4大会で金5銀4銅4、計13個のメダル獲得は、日本人最多。特に鉄棒は得意で「鬼に金棒、小野に鉄棒」とまでいわれた。しかし80歳になった小野の口から出てきたのは意外な言葉だった。
小野 「小野に鉄棒」って言われても、自分には関係ない。自分じゃ言わないしね。ローマ大会で連覇した時、どこかの新聞社が書いたんだ。それだけ周囲にインパクトは与えたとは思うけど、マスコミのための言葉だから。だいたい、鉄棒は好きでもなかったし。
「鉄棒」は小野の代名詞でもあった。56年メルボルン大会で日本体操界に初の金メダルをもたらし、60年ローマ大会では2大会連続金メダルを獲得。メルボルンで見せた「ひねり飛び越し」の離れ技は、世界を驚かせた。その後も塚原光男のムーンサルト、森末慎二の10点満点と日本は鉄棒で圧倒的な強さを見せた。
小野 確かに日本のお家芸になったね。つり輪や平行棒ほど腕の力が必要ないから、日本人には向いているのかもしれない。私も得意だったのは間違いないけれど、好きかと言われるとそうでもなかった。練習は苦手だったつり輪やあん馬が中心。鉄棒は嫌だった。飛びつく前に、よく「嫌だなあ、やりたくないなあ」なんて思ったりしたよ。
最初の金メダルも、狙ってとったものではなかった。52年ヘルシンキ大会で手ごたえは得ていたものの、まだ世界の中での日本の位置もはっきりとは見えない時代だった。
小野 上位は狙おうとは思ったけれど、金メダルは考えていなかった。当時はソ連が圧倒的に強くて、ストロボフ(ソ連団体金メダル)なんか「鉄棒の神様」と呼ばれていたから。金メダルが決まった瞬間は、自分でもびっくりした。
体操ニッポンの最初の金メダリストは、控えめに言う。しかし、ヘルシンキから4年で小野をはじめとする日本の体操が飛躍的に進歩したのは間違いない。まだ海外の情報も少なく、映像もない時代。原点は、ヘルシンキから持ち帰った大量の8ミリフィルムにあった。
小野 ヘルシンキは勉強のための大会だった。選手たちはそれぞれ8ミリを手に臨んだ。私も餞別(せんべつ)で8ミリフィルムを買い、自分が演技していない時や当時競技終了後にあった模範演技会などで回した。見たこともない技がたくさんあった。日本に帰ってからは、それのまね。日本人はまねが得意だから。
体操は欧州が中心。採点競技だけに、欧州の壁を破るのは大変な苦労だった。体形的なハンディもあり、得点が抑えられることも多かった。小野自身も「点が低すぎると思ったことは、1度や2度ではなかった」と言う。欧州中心の審判たちから高得点を引き出すには、難度の高い技をやるしかない。8ミリフィルムの技を組み合わせ、工夫を加えて新技にした。
小野 もちろん「美しい体操」というのが日本の武器だけど、最初は難度を高めることしかなかった。今まで誰もやっていない技をやるから、審判が採点に困ることもあった。まずは、まねから。それを自分のものにして演技した。
まねで始まった日本の体操は、その後大輪の花を咲かせる。メルボルン大会で銀メダルだった団体は、次の60年ローマ大会から76年モントリオール大会まで5大会連続金メダル。その後低迷もあったが、ロンドン大会に向けて再び体操ニッポンが輝きを放ってきた。体操の一線から退いた小野は今、日本スポーツクラブ協会の名誉顧問を務める。日本に欧州型のスポーツクラブを根付かせ、スポーツを文化として発展させようと尽力している。
小野 実は海外に持っていった8ミリフィルムとカメラには、ドイツなどのスポーツクラブが大量に撮ってあった。素晴らしい環境でスポーツが行われている。日本はハードだけあっても、ソフトがダメ。欧州をまねて、日本人のスポーツに対する考え方を変えていかないと。
体操は強豪国のまねで多くのメダルを手にした。スポーツそのものも、日本の学校、企業スポーツを脱して、欧州のクラブスポーツをまねようというのだ。体操競技を離れても、小野は精力的に動き回っている。(敬称略)
◆小野喬の五輪メダル 初出場の52年ヘルシンキ大会の跳馬で銅メダル獲得。56年メルボルン大会では鉄棒で日本体操界初の金メダルに輝き、あん馬、個人総合、団体総合で銀、平行棒で銅メダルを獲得した。60年ローマ大会では鉄棒、跳馬、団体総合で金、個人総合で銀、つり輪、平行棒で銅。選手団主将として臨んだ64年東京大会は右肩の負傷をおして団体総合金メダル獲得に貢献した。4大会連続メダル獲得は日本人男子で唯一。計13個のメダルは同じ体操の加藤沢男を抑えて日本人トップに立つ。
◆小野喬(おの・たかし)1931年(昭6)7月26日、秋田・能代市生まれ。能代中から東京教育大(現筑波大)、慶大、東レと進む。64年東京五輪後に引退し、妻清子と池上スポーツ普及クラブを設立。88年に国際体操殿堂入り、11年東京都名誉都民顕彰。
(2011年11月15日付日刊スポーツ紙面より)
[2012年7月15日0時52分]
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