負けない!日本~スポーツ100年~
金メダルのドラマが感動を生み、日本人を勇気づけた。日本のスポーツを統括する大日本体育協会(現日本体育協会)創立は、101年前の1911年(明44)。日本の五輪参加もロンドン大会で100年となる。逆境をはね返した金メダリストの偉業を振り返る。【編集委員 荻島弘一】
おかゆから学んだリーダーとは/レスリング・吉田義勝
- 64年東京大会フリー・フライ級の吉田義勝
<1964年東京五輪>
金メダルを紛失したレスラーは、小林孝至だけではない。同じ日大レスリング部の吉田義勝。64年東京大会フリー・フライ級(52キロ以下)の優勝者だ。65年3月、卒業式の両国・日大講堂に向かう総武線の網棚に置き忘れた。すぐに届け出たが、すでに何者かによって持ち去られた後。日本協会会長だった八田一朗からは激怒されたという。
吉田 報告に協会に行った。再発行ができるかと思ってね。そうしたら、八田さんに怒られて。「3日待つから捜せ」と言われたけれど、あてなんかない。3日後に、持ち帰った人が返しにきてくれた。
東京大会で5個の金メダルと大活躍した日本レスリング。優勝候補だった渡辺長武や市口政光に比べ、吉田は伏兵だった。この年の全日本選手権初優勝で、つかんだチャンス。しかし、最初は五輪出場など考えもしなかったという。
吉田 (全日本選手権上位者らによる)代表決定プレーオフに進出したけど、代表は無理だと思っていた。今泉(雄策)さんには何度やっても勝てなかったから。全日本の時も引き分けだし。ところが、プレーオフ前日に「フライ級五輪代表は吉田」と張り出された。それはラッキーだった。
フライ級の第一人者は今泉だった。全日本で3度優勝、前年のプレ五輪優勝。経験豊富で、確実にメダルを狙える選手だった。しかし、八田会長と笹原正三コーチの選択は吉田。今泉に分のあるプレーオフを無視して、吉田を強行指名した。今泉は「50年近く前だし、覚えていない」と苦笑いしながら振り返った。
今泉 八田さんたちが吉田を代表にしたがっているのは分かった。最後は合宿を抜け出した。自分が出てもメダルはとれたと思う。でも、金は無理。アリエフ(ソ連)には勝てなかったから。もちろん出たかったけど、仕方ない。八田さんたちは、吉田の可能性に期待したのだと思う。メダルじゃなく、金を狙って。
淡々と話したが、悔しかったはずだ。60年のローマ大会は、直前の全日本で優勝しながらも「経験不足」で代表になれず。東京に懸ける思いも強かった。しかし、代表を逃した今泉は、合宿に戻って吉田に自分のすべてを託す。アリエフも含めて外国勢のデータを教え、スパーリングもした。吉田は「今泉さんのおかげで金メダルがとれた」と話したが、今泉は笑う。
今泉 いやいや、八田さんに「お前にいくらかけてると思っているんだ」と言われたんだ。で「今までかけてきた分を、全部吉田に渡せ」と。それで、自分の経験をすべて伝えた。次のメキシコ大会でヘッドコーチを任されたのも、コーチをした吉田が東京で金をとってくれたおかげだよ。
吉田の強行指名から今泉へのコーチ要請まで、金メダルの裏には、八田の執念があった。「そるぞ!」の流行語を生んだスパルタ練習。ハブとマングースの戦いで闘争心を養い、ライオンとのにらめっこで精神を鍛えた。吉田は「八田イズム」の優等生だった。
吉田 猛練習で疲れているのに、夜中に枕元で突然「吉田! 元気か!」。驚いて跳び起き「はい、元気です」と返事をすると、何事もなかったように「そうか、お休み」。練習も厳しかったけれど、夜中に起こされるのがつらかった。
吉田には忘れられない八田の思い出がある。大会直前、風邪で体調を崩した。減量のために食事はとれない。もちろん、練習もできない。4時間ごとの栄養注射。開会式にも出ず、選手村の部屋で休んでいる時だった。ドアを開けて入ってきたのは八田だった。
吉田 激怒されると思った。プレーオフを回避し、自分の首をかけて選んでくれたのに、試合さえできる状況ではなかった。風邪は自分の不注意。怒られても仕方ない。どんな罰も受けいれる覚悟でいた。
ところが、八田が口にしたのは意外な言葉だった。「一番大切なのは、お前の体だ。さあ、メシ食え」。吉田の目の前に差し出されたのは、おかゆだった。
吉田 食事をしろ。つまり減量はもういい、試合はいいと。あれだけこだわった金メダルなのに…。もちろん、食べなかったけど。今でも、この話をすると涙が出てくる。本当にすごい人。リーダーとは何か、を教えてくれた。
吉田は日大卒業後、明治乳業入社。金メダリストの肩書は忘れ、取締役にまでなった。仕事でも「八田さんの教えが役立った」という。理不尽とも思える根性主義、同時に選手を大切に思う心。「八田イズム」が生きるからこそ、今でもレスリングは連続で五輪メダルを獲得し続ける伝統を守っている。(敬称略)
◆64年東京五輪レスリング・フリー・フライ級(52キロ以下) 吉田は初戦から順調に勝ち上がり、3回戦で前年世界王者のヤニルマズ(トルコ)に判定勝ち。5回戦では「日本人キラー」のアリエフ(ソ連)と対戦した。徹底した分析で、逃げる相手を引き寄せる時にかかとに体重が乗るクセを発見。終了間際、その瞬間を逃さずタックルを決めて1-0で競り勝ち「これで金メダルだと思った」。決勝は韓国のチャンを危なげなく判定で下して優勝。この階級で日本人初の金メダルを獲得し、中田茂男、加藤喜代美、高田裕司、佐藤満と続く「栄光の52キロ級」の先駆けとなった。
◆吉田義勝(よしだ・よしかつ)1941年(昭16)10月30日、北海道旭川市生まれ。旭川商から日大に進み、4年時に東京五輪フリー・フライ級で金メダルを獲得した。卒業後は明治乳業に入社、取締役となり、明治乳業販売では社長も務めた。
(2011年12月20日付日刊スポーツ紙面より)
[2012年7月19日14時18分]
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