日本が挑む100年目の五輪、ロンドン大会が目前に迫った。1912年のストックホルム大会に日本が初参加してから1世紀、「五輪100年の記憶」として歴史を振り返る。【荻島弘一編集委員】
私財なげうち初参加/柔道・嘉納治五郎
<1912年ストックホルム大会>
第1回は、講道館柔道の創始者で大日本体育協会初代会長の嘉納治五郎氏。「柔道の父」「日本体育の父」として知られるが、その素顔は私財をなげうちながらも次世代へ思いを託す「いちずな教育者」だった。
今からちょうど100年前の1912年5月16日、初めて五輪のために結成された日本選手団が新橋駅を出発した。選手は陸上マラソンの金栗四三と短距離の三島弥彦の2人。率いたのは51歳の嘉納治五郎団長だった。同氏が国際オリンピック委員会(IOC)委員となったのは09年。11年に大日本体育協会(現日本体育協会)初代会長となり、五輪参加に奔走。同氏がいなければ、日本の五輪参加100年は、まだ訪れていないかもしれない。
嘉納氏の孫で、講道館名誉館長の嘉納行光氏(79)は「すべては、教育のためですよ」と話した。「大金を手にしても、あの世には持って行けない。総理大臣になっても一代限り。次の世代につながる教育こそ男の生きがい、大事。柔道もスポーツも、治五郎師範にとっては教育なんです」。
柔術をまとめて講道館柔道を創始し、東京高等師範学校(現筑波大)校長を務め、8000人にも及ぶ留学生を受け入れた。すべては教育のため。五輪参加もその延長で、同時に生涯スポーツも振興した。IOC委員として、40年東京五輪招致も成功させた(後に開催返上)。常に考えていたのは「人間教育に役立つかどうか」の1点だった。
世間のスポーツに対する理解もなかった時代。五輪運動を進めて大会に選手を送り、世界を飛び回って五輪招致を訴えるには資金も必要だった。私財をなげうった。支援者も募った。どうしても足りなければ、借金もした。その額、実に70万円。現在なら20億円に達する大金だった。
行光氏は「物欲とか、名誉欲とか、全くなかったみたいですね。金にも縁がなかった」と笑う。しかし、嘉納氏が興した柔道は世界に広がり、日本の五輪参加は100年を迎えた。物は残せなかったかもしれないが「次の世代へ」まいた種は大きく花開いた。
「借金のことは後から知ったけれど、師範らしい。物質的なことを求めたら、教育者ではないですから」という行光氏も09年、任期を6年も残して講道館長の座を上村春樹氏に譲った。その上村氏は今大会日本選手団長、100年の時を超えた嘉納氏の思いも背負って、ロンドンに乗り込む。
(2012年5月10日付日刊スポーツ紙面より)
[2012年7月17日12時36分 紙面から]
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