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コラム Nikkan Olympic Column
オッギーのOh!Olympic 五輪コラム オッギーのOh!Olympic

 荻島弘一編集員による日々の話題、トピックスなどを取り上げる社会派コラム。これまでの取材経験や過去の五輪取材などを絡め、批評や感じたことなどを鋭く切り込む。

正しい判定ができる審判を

 「あれって何?」「あれがスポーツ?」。衝撃の試合から一夜明け、多くの人に聞かれた。海老沼が韓国の■準好と対戦した柔道男子66キロ級準々決勝は、前代未聞の結末。試合中から不可解な判定が続き、旗判定が青3本から白3本に変えられて勝者が入れ替わった。

 海老沼が勝ってホッとした人も多いだろうが、判定が覆った経緯は納得しかねるものだった。主審が下した決定が、ジュリーと呼ばれる審判委員の「命令」によって簡単に変わる。「審判は絶対」というスポーツの「常識」が、音を立てて崩れていく瞬間だった。

 「誤審もスポーツ」が乱暴な言い方なのは分かる。同じロンドンで行われた66年サッカーW杯決勝、イングランド代表FWハーストのシュートが入ったかどうかは、何十年も酒のさかなになった。しかし、映像技術が進歩し、即座に誤審が分かる今は状況が違う。誤審をなくすことが何より優先されるのは当然だ。それでも、柔道のシステムは異常にしか映らない。

 イヤホンでのジュリーからの一方的な「命令」で判定を下す柔道の主審は、ただの「操り人形」だ。国際柔連(IJF)は「最終決定は畳の上の審判が下す」とするが、現実は違う。他の競技でも「審判の審判」を置くジュリー制度は珍しくない。しかし、ほとんどは審判技術向上が目的で、判定には口を出さない。

 「絶対」だからこそ、審判は責任を持って判定を下す。あくまでビデオは補助。サッカーの母国英国では、かつて審判が観客席にいた。より正確に判断するためにピッチに入った。英国で発展した近代スポーツの多くは、同じように最も近くで試合を裁く審判に絶対的な権限を与えた。柔道は観客席で判定していた時代に戻ろうというのか。現場の意見が現場を知らない上司に覆されるのは、風通しの悪い会社と同じ。これでは、いい仕事ができるわけがない。

 スポーツはルールがあって成り立つ。IJFのバルコム審判委員長は「真の勝者を勝者にした」とジュリーの判断に胸を張ったが、ルールを破ったのは「最終判断は審判」を無視したジュリーだ。海老沼は「韓国選手に悪いことをした」と話し、■準好は「判定について話すことはない」。スポーツらしかったのは、選手だけ。判定を正す前に、正しい判定ができる審判を育てないと、柔道はスポーツでなくなる。【編集委員・荻島弘一】

※■は十の下に日を2つ縦に並べ、十の縦棒が1つ目の日を貫く

 [2012年7月31日9時10分 紙面から]



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