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コラム Nikkan Olympic Column
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 荻島弘一編集員による日々の話題、トピックスなどを取り上げる社会派コラム。これまでの取材経験や過去の五輪取材などを絡め、批評や感じたことなどを鋭く切り込む。

審判がいなければスポーツは成り立たない

<ロンドン五輪:体操>◇7月30日◇男子団体総合決勝

 柔道に続いて、体操も。連日審判にスポットが当たる。1度は発表された順位が、日本の抗議によって覆った。「後味が悪い」と感じたのは、海老沼や内村だけではない。「しっくりこない」「分かりにくい」と思いながらテレビを見ていた人も多いはずだ。

 五輪のたびに審判問題が起こるように見えるが、どの競技も常に問題は抱えている。ただ、注目度が違うから目立つ。普段は競技を見ない人も、テレビをつける。問題があればテレビのワイドショーでも繰り返し扱うから「五輪は誤審ばかり」の印象を受ける。

 身体能力と技術が向上するから、審判の判断はどんどん難しくなる。50年前の体操や柔道を見ると、技も分かりやすく、判定もしやすいだろうと感じる。しかし、今の技のスピード、複雑さに審判もついていけなくなる。だからこそ、各競技は「誤審」をなくすためにあらゆる策を講じる。

 テクノロジーの導入も1つだ。ビデオ判定は、最も代表的なもの。当初は人間の下す判断の補助的なものだったが、その役割は年々大きくなっている。さらに「審判の審判」導入。より公平な判断を下すために審判のミスをチェックする。

 柔道は「最終決定権は畳の上の審判にある」としながら、実際はジュリー(審判理事)の判断が上。体操も採点の最終責任は技術委員会にある。より正確な判断をしようという制度なのだが、審判の権威が失墜しないかが気になる。自分の判断が最終でないのに、判定に責任が持てるのだろうか。

 あらゆるスポーツで、審判は重要だ。審判がいなければ、スポーツは成り立たない。優秀な選手、指導者を育てるとともに、審判を育てることも大切だ。普通にやって当たり前、ミスで責められるのは一方的に審判(とその周辺)。誤審報道があるたび、審判問題が起こるたびに心配になるのは「審判なんか、やりたくない」という子どもが増えることだ。

 [2012年8月1日10時9分 紙面から]



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