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コラム Nikkan Olympic Column
爲末大学 オリンピックを考える 五輪コラム 爲末大学 オリンピックを考える

 五輪に3度出場、世界選手権で2度銅メダルを獲得し、先ごろ引退したばかりの侍ハードラーが、独自の視点から五輪を斬る。社会派アスリートが現地で 見て、感じた世界最高峰の戦いを語る。

敗者に伝えたい 君たちは素晴らしい

 女子レスリングが3つ金メダルを獲得して、女子サッカーが銀メダルに輝いた。初日から続く連日のメダルラッシュをスタジオで見ていて、ふとある選手の特集に目が止まった。浜口京子さんだ。

 短いVTRは彼女がどうやってロンドンを目指し、国内予選を通過し、そしてロンドンの予選で敗退するまでが描かれていた。

 私は五輪に出場する側ではなく報道する側に回るのは初めてで、現場が一体どう報じられているのかを今回初めて体験している。それなりに自分でも思うことはあるものの、日本のメディアは本当に熱心に五輪を伝えている。それは同時に国民の五輪への思いの強さも反映しているのだと思う。

 個人の体験では、私は五輪でいい成績を残したことがない。2000年は予選で転倒し、2004年は100分の1秒差で準決勝敗退、2008年の北京はけがが癒えきらずに予選で敗れた。私は五輪に関しては、いつも努力が報われない側だったと言える。

 運も実力のうちという意味では、すべては自分の実力不足だったのだと思う。多くのミスもした。全ては自分のせいだと分かった上で、それでもなお4年間の努力が無になったと感じるその瞬間にはとてもつらいものがある。

 五輪後、帰国して成田についた選手団は2つのバスに分けられる。メダリストを乗せたバスと、そうではない選手のバス。選手たちは否応無しに、帰国した瞬間その差を意識する。

 メダルを取れるのは全体の10分の1ぐらいで、それ以外の選手は自分や身内はともあれ、世間的にはそれほど評価されるわけでもなく五輪を終える。そして4年間の努力が報われたのかどうか、割に合ったのかどうか、自分なりに落としどころを探ることになる。

 勝者はたたえられるべきで、差はつけるべきだ。だから勝者にフォーカスが当たるのは当然なのだけれど、僕はどうしても敗者がもつストーリーに共感してしまう。それは僕が敗者の側だったからかもしれない。

 世の中のほとんどの人は最初の夢を諦める。パイロットだったり、野球選手だったり、いろんな夢がある。多くの子どもたちはある日、自分にそもそも才能がなかったり、現実には越えられないものがあると気付き、努力では何ともならない領域があることを知って、人生に修正をかける。

 人生の苦しさとは、努力は報われるとは限らないところにあり、才能を持って生まれつくとは限らないことにある。そして人生の素晴らしさとは自分が生まれた境遇を受け入れて、今、自分にできることを一生懸命にやることにある。

 長い競技人生で、努力と成果が出ないことを繰り返してきた。結局、最後の五輪に出られなかったけれど、今はとてもすっきりした気持ちでいる。人は結果によって努力に報われるのではなく、何かに夢中で努力しているその毎日は確かに輝いていて、それが報酬なんじゃないか。今はそう感じている。

 今回いい成績が出なかった選手たちに伝えたいなと思うことがある。君たちは素晴らしい。そして今はそう思えなくても、いつか必ず努力は報われたと自分自身が納得できる時がくる。

 [2012年8月11日8時52分 紙面から]



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