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佳純銅があるぞ3位決定戦へ/卓球

李(手前)に食い下がった石川だったが、無念の敗退を喫してしまった(撮影・菅敏)
李(手前)に食い下がった石川だったが、無念の敗退を喫してしまった(撮影・菅敏)

<ロンドン五輪:卓球>◇7月31日◇女子シングルス準決勝

 メダルをつかめ! 卓球の女子シングルス準々決勝と準決勝が7月31日に行われ、世界ランク6位の第4シード石川佳純(19=全農)が日本初のメダルに王手をかけた。準々決勝でワン・ユエグ(シンガポール)を4-1で下し、日本人で男女を通じて初のシングルス4強入り。準決勝は第2シード李暁霞(中国)に1-4で敗れたが、今日1日の3位決定戦で第6シードの世界ランク8位フェン・ティアンウェイ(シンガポール)と激突する。

 ピンクのウエアの19歳が日本卓球史を塗り替えた。石川が日本人初のメダルへ王手をかけた。準決勝は李に1-4で敗北。金メダルこそ逃したが、第3ゲームを逆転で奪うと、スタンドをドンドンと踏みつける観客の足音が大きく響いた。激しいラリーの応酬で、ロンドンのファンもくぎ付けにした。ブロンズメダルをつかむチャンスは十分にある。

 冷静さで4強をつかんだ。準々決勝のワン戦、団体戦メンバー平野(ミキハウス)の言葉を実践した。「バック側で粘って、フォアに強いボールを打った方がいいよ」。ワンと好相性の先輩の教えを守り、32歳相手に主導権を握った。「もう1回組み立てよう」とタイミングよく2度のタイムアウト。第4ゲーム10-6から2連続失点すると、「ひらめいた」という上回転のサーブを初披露し、相手のミスを誘った。

 石川 本当にいいプレーができました。相手がベテラン選手なので流れを渡さないよう、「焦っちゃいけない」と言い聞かせて。コートに立ったら誰も助けてくれない。チャンスボールをミスしても「いいよ、いいよ」って、自分で自分に声をかけて。今は楽しくできています。

 卓球の日本勢シングルス最高は、96年アトランタ大会と00年シドニー大会で小山ちれが残した「ベスト8」だった。初の五輪で、いきなり最後の4人に残る快挙。それは恩返しでもあった。昨年の全日本選手権で優勝後、プロツアーで勝てなくなった。「あの時が一番つらかった。いろいろな人に励ましてもらい、声を掛けてもらった」。指導を仰いだ1人が、小山さん。「たくさんの方に支えてもらったから、恩返しがしたい」の思いを実らせた。

 3年がかりで目指した舞台だった。10年6月、母久美さん(48)と小学生以来の師弟関係をお願いした。当時は福原、平野に次ぐ3番手。1年後に決まるシングルス五輪切符は2枚だった。U-21(21歳以下)を含めて実戦を重視し、海外遠征の連続。久美さんは「年間30大会ぐらい出ていますかね。パスポートは増刷しましたから」と笑う。

 国際卓球連盟には「グローバルな航海者」と紹介された。飛行機でたまるポイントに例え、他国には「マイレージランカー」とやゆされたこともある。でも、世界と戦う中で課題を自覚。ラケットさばきは中国選手に劣らないが「体が違う」と感じた。20歳を前に「身長も止まるし筋トレをしたい」と体幹を鍛え、体重は2キロ増。「前よりも強いボールが続けて打てる」と自信をつけた。

 さあ、いよいよ大一番だ。メダルを懸けて戦うのは、団体戦でもライバルになるシンガポールのフェン。「特に考えていないですね(ベスト)4とか8とか。1球1球のことだけ」といつもと変わらぬ笑顔を見せた。日本の誇る「サウスポーカスミ」が、夏のロンドンで大きく羽ばたく。【近間康隆】

 [2012年8月1日9時4分 紙面から]