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吉田も金!世界大会12連覇/レスリング

女子55キロ級決勝 金メダルを獲得し、日の丸を持ち場内を一周する吉田沙保里
女子55キロ級決勝 金メダルを獲得し、日の丸を持ち場内を一周する吉田沙保里

<ロンドン五輪:レスリング>◇9日(日本時間10日)◇女子55キロ級決勝

 女王が三たび頂点に立った。吉田沙保里(29=ALSOK)が、五輪3連覇を果たした。準決勝で、5月のW杯で連勝を「58」で止められた19歳のワレリア・ジョロボワ(ロシア)に雪辱。決勝では、04年アテネ五輪決勝や昨年の世界選手権決勝でも対戦したトーニャ・バービーク(カナダ)を下した。これで世界選手権を含む世界大会で12連覇を達成。「人類最強の男」アレクサンドル・カレリン氏が持つ連覇記録に並んだ。

 日の丸が躍るスタンドへ、何度も腕を突き上げた。苦しんだ分だけ、喜びは何倍にもふくれあがった。吉田が勝った。昨年の世界選手権決勝で苦しめられたバービーク(カナダ)を倒して、前日の伊調に続く五輪3連覇を果たした。

 最高の雪辱の舞台が整っていた。準決勝でぶつかったのは19歳のジョロボワ。5月のW杯決勝で不用意なタックルをうっちゃられ、08年1月19日以来1590日ぶりに敗れた相手だった。だが、タックルを返されることが怖くて動けなかった当時とは気迫が違った。

 第1ピリオド(P)30秒すぎ、右足への鋭いタックルを決めて押し出した。第2Pは1分半ごろ、上から覆う「がぶり」からニアフォールで2点を奪った。勝った瞬間、セコンドに向かって何度もガッツポーズを繰り出した。まるで鬼の形相だった。

 2カ月半前、吉田はトンネルをさまよっていた。W杯では改良した“近距離タックル”が出せなかった。「返されるんじゃないかとか、ブレーキを掛ける見えない何かが頭を駆けめぐった」。光が見えない。食事がのどを通らず、自分のスタイルをどう貫けばいいか悩んだ。練習も上の空。栄監督は「力が入らない状態で、私自身も眠れなかった」と苦しみを打ち明けた。

 4年前も北京五輪前のW杯で連勝記録を119で止められた。だが、当時は五輪までまだ7カ月もあった。今度は時間がない。そんなとき、父でコーチの栄勝さんに言われた。「小さいころの動きを思い出せ」。

 勢いよくタックルに飛び込んだ時代。勝ち続けていたときには言われなかった父の言葉は、重く響いた。76年モントリオール五輪金メダリストの高田裕司日本協会専務理事にも、好調だったアテネ五輪のビデオを見せられた。「最後は自分」と迷いを断ち切り、自分の距離で戦うことを決めた。2回戦こそ初戦の硬さが出たが、準々決勝のラトケビッチ戦は鋭いタックルを見舞った。吹っ切れた。

 日本選手団の旗手として開会式に参加するため、試合の15日前にロンドンに入った。いまだかつて女性旗手から金メダリストは生まれていないというジンクスがあった。五輪3連覇の懸かる大会。しかも、W杯で負けた直後。「旗手は断った方がいいのでは」と協会幹部も考えた。だが、本人は「責任を背負って戦う」と答えた。

 父への感謝も背負っていた。セコンドには3度目の五輪で初めて栄勝さんがついた。最初にレスリングを教えてくれた人。壮行会では「金メダルを取ったら、父を肩車したい」と語った。日本の応援団は祈りを込めて、父が娘を担ぐ絵をデザインしたTシャツをつくった。親子の願いもこめられた3度目の大舞台。吉田が、あらゆる苦難に打ち勝った。【今村健人】

 ◆吉田沙保里(よしだ・さおり)1982年(昭57)10月5日、三重県津市生まれ。3歳のときに父の指導でレスリングを始める。久居高-中京女大(現至学館大)-ALSOK所属。アテネ、北京両五輪女子55キロ級金メダル。08年1月の女子W杯団体戦で負けるまで、01年から119連勝をマークした。今大会前まで五輪を含む世界大会は無傷の54連勝中だった。家族は父栄勝さん(60)母幸代さん(57)兄勝幸さん(34)兄栄利さん(32)。156センチ。血液型O。

 [2012年8月10日10時0分 紙面から]





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