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米満が金 会心ロンドン締め/レスリング

金メダルを獲得した米満は、日の丸を掲げマットを駆ける(撮影・PNP)
金メダルを獲得した米満は、日の丸を掲げマットを駆ける(撮影・PNP)

<ロンドン五輪:レスリング>◇12日◇男子フリースタイル66キロ級決勝

 最後を金で締めた! 昨年世界選手権2位の米満達弘(26=自衛隊)が初出場で金メダルを奪取した。ケガを抱えながら厳しいブロックを勝ち抜き、決勝では10年世界王者のクマール(インド)を持ち上げる大技などで完勝。男子では88年ソウル五輪以来、24年ぶりの金だった。今大会日本の金メダルは7個目。獲得メダル総数は38個で、04年アテネ五輪を上回って1大会最多となった。

 閉じかかった扉を、最後にこじ開けた。24年間、はね返されてきた金メダルへの壁。最終日に、米満が打ち破った。新たな歴史を告げる試合終了のブザーが鳴った瞬間、鬼の形相で仁王立ちした。その場でくるりと1回転。日の丸を背負ってマットを1周した。だが、どこかぎこちない。やり慣れない歓喜のパフォーマンス。すべては長すぎた24年のせいだった。「急なことすぎて頭の整理ができていない。夢みたい」。何度も、メダルを確かめた。

 こん身の大技が、決勝の大一番でさく裂した。第1ピリオド(P)を奪って迎えた第2P25秒すぎ。低く鋭いタックルでクマールを担ぎ上げ、たたき落とした。まるでボディースラム。「試合前のイメージ通り」の得意技で、3点を奪って試合を決めた。88年ソウル五輪の佐藤満、小林孝至以来、24年ぶりの頂点。その佐藤チームリーダーは「本当にうれしい」とかれた声で喜んだ。

 実は手負いの状態だった。6月に痛めた脇腹から背中にかけた筋肉痛は、初戦2回戦でぶり返した。準々決勝では右ふくらはぎを肉離れ。指を入れられた左目は充血した。腰をひねられず、立ち技しかできない状態。それでも準決勝まで、徹底して守りを固める昨年の世界3位、一昨年の5位、昨年の3位を「伸びる手」を生かしたタックルと、足首を左右に180度開いたまま正座できる驚異の柔軟性で乗り切った。

 幼少時代、決して運動は得意でなかった。ただ、強さへの欲求だけは誰にも負けなかった。ブルース・リーにあこがれてヌンチャクを持ち、小学生から腹筋を毎日100回。“師匠”の肉体に近づこうとした。

 「何もできない」環境も自らを強くした。双子だったことで、剣道や塾など金銭負担が大きい習い事は許されなかった。代わりの遊びは、木登りや町を使った壮大な鬼ごっこ。ターザンのようにツルを使って高さ5メートルの木を飛び移った。

 高校から始めたレスリング。自ら「野性児」と呼ぶその力に、生まれつきの体が生かされた。169センチの身長で、腕の長さは186センチ。ぶら下がりながら手を伸ばして移動する雲梯(うんてい)は、人より多い3段抜かしができた。自衛隊支給品の袖が短すぎて、上官に怒られた過去もある。自慢のリーチはレスリングに最適だった。距離を保って守る相手に腕を伸ばし、タックルを決め続けた。

 レスリングを始めて、たった11年で頂点に立った。「高校から始めても金メダルが取れることを証明できた。ブルース・リーと宮本武蔵には、影を踏めるぐらいには近づけたかな」。次に目指すのは16年リオ五輪での2連覇。日本選手団最多38個目のメダルを金色で締めくくった米満は、世界最強の男となり、日本男子レスリングにまばゆい光をもたらした。【今村健人】

<米満達弘(よねみつ・たつひろ)アラカルト>

 ◆プロフィル 1986年(昭61)8月5日、山梨県富士吉田市生まれ。韮崎工高-拓大-自衛隊。家族は父弘昌さん(57)母礼子さん(55)兄崇(たかし)さん(30)双子の弟達則さん(26)。169センチ。

 ◆レスリング 中学時代は柔道部に所属し、県大会を制覇。韮崎工高からレスリングを始める。08年全日本初優勝。世界選手権は09年銅、11年銀メダル。

 ◆師匠 ブルース・リーとジェット・リー、宮本武蔵を尊敬。心燃える映画は「燃えよドラゴン」。ブルース・リーのオープンフィンガーグローブも10年アジア大会前に購入。得意の一発芸は少林寺拳法。

 ◆ゴム人間 身長より17センチ長い186センチのリーチを持ち、対戦相手いわく「腕が伸びる」。カナヅチで5メートルしか泳げないため、漫画「ワンピース」になぞらえ「ゴムゴムの実」を食べたとささやかれている。

 [2012年8月13日8時48分 紙面から]





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