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愛、佳純、早矢香 日本の団結力/卓球

<ロンドン五輪:卓球>◇5日(日本時間6日)◇女子団体準決勝

 世界2位の日本が同3位のシンガポールに3-0で快勝。決勝進出で銀メダル以上を確定した。第1試合で福原愛(23=ANA)が過去1勝9敗のフェン・ティアンウェイを3-1で破って勢いを付けると、続く石川佳純(19=全農)、ダブルスの石川、平野早矢香(27=ミキハウス)組もストレート勝ちし、日本卓球史上初の五輪メダルを決めた。7日の決勝では、2連覇を狙う世界1位の中国と対戦する。

 抱き合った2人の肩が震えた。一気に涙があふれた。勝負を決めたのは、石川と平野の意外なダブルスだった。今大会初の組み合わせで、福原の出場を予想していたとみられる相手の意表を突いた。「本当に幸せ」と石川が興奮すれば、平野も「このチームを卓球の神様が応援してくれた」と声を震わせた。

 前夜、平野が声を掛け、福原の部屋で話し込んだ。翌日試合にもかかわらず、午前1時にも及んだという。年長である平野の心遣いだった。「オーダーのこととか、心の準備とかを話しました」。この日の朝には、石川にも声をかけた。

 年少で五輪初出場の石川は、大会前に2人から言われた。「佳純は思い切りやればいい」。その言葉で緊張が解け、個人戦ではシングルスで4強に進んだ。この日も2番手のシングルスと合わせた2勝で歴史的な勝利に貢献した。

 日本はかつて卓球王国と呼ばれた。しかし世界選手権覇者は、79年男子シングルスの小野誠治以来、出ていない。団体戦にいたっては、女子が71年、男子が69年が最後の優勝だ。五輪では88年ソウル大会で正式競技になって以来、メダルとは縁がなかった。

 そこに現れたのが福原だった。国内の最年少記録を次々と塗り替え、「天才少女」と騒がれた。02年に、卓球協会は強化システムの大きな見直しを図る。福原の台頭に影響を受け、小学生以下のホープスを対象とした選手と指導者の研修会を、毎年開催。その中に、山口から参加していたのが9歳の石川だった。

 平野はいち早く04年に18歳で全日本を制し、少しずつ芽を出し始めた。しかし、国内では勝てるが、世界で勝てない日々が続く。北京五輪代表になっても、内弁慶というありがたくないニックネームをもらった。

 海外では福原の孤軍奮闘が続いていた。石川は「愛ちゃんみたいになりたい」と、中学から大阪に卓球留学。福原が所属したミキハウスJSCに所属し、海外も積極的に転戦した。平野も、後輩2人に刺激を受け、徐々に世界との距離を縮めた。

 軸になった福原、福原の背中を追い続けた石川の2枚看板に、姉の役割で引っ張った平野が加わり、3人の力が結集したメダルだった。「3人と支えてくれた人、みんなで勝ち取ったメダルです」。3人娘が、日本卓球界の新たな扉をこじ開けた。

 [2012年8月7日8時51分 紙面から]