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小原、家族に命救われ…金/レスリング

小原は歓喜のガッツポーズ。手前の栄監督(左)、笹山コーチも喜んだ(撮影・PNP)
小原は歓喜のガッツポーズ。手前の栄監督(左)、笹山コーチも喜んだ(撮影・PNP)

<ロンドン五輪:レスリング>◇8日◇女子48キロ級決勝

 金メダルで有終の美! 小原日登美(31=自衛隊)が、この階級で日本に初めて金メダルをもたらした。昨年の世界選手権決勝の再現となったマリア・スタドニク(アゼルバイジャン)戦で、第1ピリオド(P)を落とすも取り返して逆転勝ちした。51キロ級で世界を6度制しながらアテネ、北京両五輪出場を逃し、うつ病も患うなど苦難を歩んだ天才レスラーが、現役最後の大会でうれし涙を流した。

 何も見えなかった。両目のコンタクトレンズは試合中に失った。残り何秒か分からない。「守るな。攻めろ」。絶えず自分に言い聞かせていたその瞬間、金メダルを告げる、そしてレスリング人生を終えるブザーが鳴り響いた。「格別な気持ちでした。やっとここにたどり着いたんだと」。小原の目に涙があふれた。やはり、何も見えなかった。

 昨年の世界選手権に続くスタドニクとの決勝。当時と同様に第1Pを落とした。「強かった。負けるかもしれないと思った」。だが、日本を出発前に夫康司さん(30)から渡された手紙の「五輪に魔物はいない」という言葉が、背中を押してくれた。前に出て、攻めて取り返した。逆転勝ち。「支えてもらったみんなと一緒に金メダルを取れた」と感謝した。

 家族がいなければ、命の危険もあった。00、01年と世界を制した51キロ級は非五輪階級。48キロ級の妹真喜子さんとの対決は「見たくない」と両親に反対され、04年アテネ五輪は55キロ級で挑むことにした。しかし02年1月の左膝手術の回復が遅れ、年末の全日本選手権で吉田沙保里に25秒でフォール負けした。五輪出場を失った瞬間、心が大きなダメージを負った。

 翌年1月から毎日「帰りたい」と青森・八戸の実家に電話した。03年4月。翌日の身体計測に備えて、東京・赤羽のホテルに姉妹同部屋で泊まっていた。「みっともない体を見られたくない」。目に入ったカミソリを突然、手首に当てた。「なにやってんの!」。気づいた妹に怒鳴られ、奪われた。翌朝4時には部屋から逃走し、何とか妹が発見した。真喜子さんは「目が離せませんでした」。うつ病と診断された。

 7月1日に実家に戻っても、自分で自分の首を絞めたことがあった。「死ぬのかと思ったら、怖くて手を離した」。目は充血していた。夜勤で帰ってきた父清美さんは心配し、寝ずに付き添ってくれた。母万理子さんは黙って話を聞いてくれた。03年末の全日本で敗れた妹には、帰りの新幹線で「1人じゃ勝てない。来てほしい」と頼られた。家族が1つずつ心を組み立ててくれた。「生きているからレスリングができるんだ」と、思いが変わった。

 80キロ近くに増えた体をしぼり、04年に復帰した。北京五輪も吉田に阻まれて08年10月に2度目の引退。しかし「日登美が五輪に行った方がいい」と言う妹の言葉で09年末、今度は48キロ級で現役生活が始まった。栄光もどん底も味わった23年のレスリング人生。金メダルへの道は家族がつないでくれた。「あきらめずに頑張れば夢はかなう。その過程が大事だった」。金色の輝きが、すべてを笑顔に変えてくれた。【今村健人】

 [2012年8月10日9時55分 紙面から]



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