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湯元進一が銅 双子でメダル/レスリング

男子55キロ級で銅メダルを獲得しガッツポーズする湯元進一(撮影・たえ見朱実)
男子55キロ級で銅メダルを獲得しガッツポーズする湯元進一(撮影・たえ見朱実)

<ロンドン五輪:レスリング>◇10日(日本時間11日)◇男子フリースタイル55キロ級3位決定戦

 日本初の双子メダリストが誕生した。レスリング男子フリー55キロ級で湯元進一(27=自衛隊)が3位決定戦で、昨年世界選手権2位のラドスラフ・ベリコフ(ブルガリア)に2-0で勝って銅メダルを獲得した。準決勝でブラディメル・キンチェガシャビリ(グルジア)に惜敗したが、気持ちを立て直して戦い抜いた。双子の兄で今大会も60キロ級代表の健一(ALSOK)も前回北京五輪で銅メダルを獲得しており、兄と同じ色のメダルで、双子そろってのメダリストとなった。

 勝っても笑顔はなかった。4年前に双子の兄健一が獲得したメダルと同じ色。「やっと並んだけど、やっぱ抜けなかったんか」。だが直接、銅メダルを見たとき、湯元進一はしみじみ思った。「表彰式で掛けられていろんな思いがあった。重いメダルだな、取れたなと」。兄を超えられなかった悔しさも受け入れた。日本初の双子メダリストは、弟が取ったから誕生した。

 父の言葉が、心を再び燃やしてくれた。準決勝で競り負けたとき「がくーんと落ち込んだ」。空いた時間で両親を訪ねると、父鉄矢さんにドヤされた。「こんな内容じゃあかん。次負けたらドーバー海峡を泳いで帰ることになるぞ」。

 「オレにとっての決勝戦だ」と迎えた3位決定戦。昨年世界2位のベリコフ相手に心は熱く、頭は冷静だった。第1ピリオド(P)52秒で押し出したとき、相手は自ら外に出る「場外逃避」で警告を受けた。1-1に追いつかれても「最後のポイント」が有利の通常と違い、警告の有無が上回る。知らずに攻めない相手に勝ちを確信。第2Pも奪い「取って当たり前」のメダルをきっちりつかんだ。

 4年前。練習相手として同行した北京で、スタンドから兄の銅メダルを見た。双子なのに見る景色が違った。健一は「2人で取ったメダル」と言ったが、弟は否定した。「自分はまったく思っていない。取ってくれた安心感はあったけど、すぐに悔しさが出た。4年間、そのバネがあった」。

 生まれたときから比較された二卵性の双子。兄より50グラム重い2100グラムで先に世に出たのは進一だった。だが、当時は後が「兄」。体つきも少し劣っていった。小学3年から2人で始めたレスリング。家に敷かれたマットで、経験者の父鉄矢さんに「スパルタ教育」を受けたが、小5で血尿が出たのは進一だけだった。北京後、道で「銅メダルの人ですよね」と声を掛けられたことも何回もあった。

 小4で地元テレビ局に将来「世界チャンピオンになる」と宣言した兄。対して進一は「僕は高校までやって、そこでメダル」と言った。誰もが、健一が上だと認めた才能の差。その強い兄と組み合ってきたことで、弟は強くなっていった。

 「こんなに比べられることは最後」と臨んだレスリング人生約20年の集大成。ケガで約3カ月練習できなかったブランクも乗り越え「健一のおかげでここまで来られた」と感謝する。ただ「やりきったけど、悔しい。磨いて金色にしたいなぁ」。どちらも本音だった。【今村健人】

 ◆湯元進一(ゆもと・しんいち)1984年(昭59)12月4日、和歌山市生まれ。9歳から双子の兄の健一と一緒にレスリングを始める。和歌山工高後は健一と別の道を歩み、拓大進学。4年時に国体優勝。卒業後は自衛隊体育学校入隊。09年アジア選手権で前年世界王者を破って優勝。09、11年世界選手権代表。全日本選手権は3度優勝。家族は父鉄矢さん、母サツエさんと兄健一。164センチ。

 [2012年8月12日9時15分 紙面から]



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