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太田延長あと1歩で散る/フェンシング

カッサーラと接戦の末、3回戦で敗退した太田(左)(撮影・たえ見朱実)
カッサーラと接戦の末、3回戦で敗退した太田(左)(撮影・たえ見朱実)

<ロンドン五輪:フェンシング>◇7月31日◇男子フルーレ個人3回戦

 フェンシング男子フルーレの08年北京五輪銀メダリスト太田雄貴(26=森永製菓)が、夢かなわず散った。初戦の2回戦で北京金のベンヤミン・クライブリンク(ドイツ)に雪辱したものの、続く3回戦で世界ランク1位のアンドレア・カッサーラ(イタリア)に延長の末、14-15で惜敗。2大会連続のメダル、そして悲願の金に届かなかった。5日の団体戦で無念を晴らす。

 栄光への道は、あまりにも険しかった。力尽きた太田は肩で息をしながら、いまだ闘志の冷めない鋭い視線を歓喜のカッサーラに突き刺した。前回大会を超える悲願の金はおろか、3回戦で敗退。「金メダルを取りたかった。最高の五輪、最高の夏にしたかったが、負けたら全部同じ。相手が一枚上手だった」。悔しさに身を震わせた。

 初戦で北京五輪決勝で敗れた宿敵クライブリンクに雪辱したが、続く3回戦で迎えた相手は04年アテネ銅で、現世界ランク1位の優勝候補筆頭。相次いで立ちはだかる「壁」に、それでも太田は「金メダル以外はビリと一緒」と果敢に挑んだ。2セットを終えて8-9。最終3セット目もマッチポイントを握られながら追いつき、14-14。延長戦に持ち込む大激戦だったが、あと1歩及ばなかった。

 天性の剣さばきと勝負勘で、日本初の銀まで駆け上がった北京五輪からの4年間。フランスの古豪クラブで武者修行し、10年4月には世界8強が集うフルーレ・マスターズで優勝するなど、実力を蓄えた。だが、昨年は練習中に肋骨(ろっこつ)を骨折し、戦績もふるわなかった。3年前に日本勢で初の1位となった世界ランクは16位に後退した。メダリストとしての重圧にも苦しみ「北京の銀にすがる自分がいて、次の五輪に向かう怖さがあった」という。

 最強の相手2人を倒せば、金への道は大きく開けたが、その願いはかなわず「ハングリーさが足りなかった」と天を仰いだ。5日には団体戦が控える。敗戦の悔しさが新たな闘志を生む。太田の戦いは、まだ終わらない。

 [2012年8月1日10時6分 紙面から]



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