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谷亮子議員予想!柔道メダル7個

アテネ五輪決勝の写真パネルを手に五輪での戦い方を語る谷亮子議員(撮影・下田雄一)
アテネ五輪決勝の写真パネルを手に五輪での戦い方を語る谷亮子議員(撮影・下田雄一)

 ロンドン五輪開幕を前に26日、都内で、谷亮子参院議員(36)が日刊スポーツの取材に応じた。92年から08年まで5大会、柔道女子48キロ級に出場し、金2銀2銅1のメダルを獲得した谷氏にとって、代表ではない五輪は24年ぶり。「4年に1度の舞台にかける気持ちも、費やした時間も分かる。目標を達成できるよう頑張って欲しい」。とりわけ、48キロ級の福見友子(27)に対しては、「私のバトンを引き継いで、48キロ級はやっぱり日本という勝利を勝ち取って」と、金メダルに期待を寄せた。

 谷氏は26日、柔道界での功績を記念して贈られた純金のネックレスを、初めて身につけた。五輪マークをあしらったもので、来月12日に閉会式が終わるまで、首もとを飾る。「今回は公務のため、ロンドンには行けない。五輪期間中、応援の意味を込めてつけておくつもりです」と話した。

 日本スポーツ界を代表する競技者だった谷氏は、10年の参院選で国会議員になり、現役を引退。女子柔道が正式種目となった92年のバルセロナ大会以降、必ず表彰台に立ってきた「YAWARAちゃん」がいない、初めての五輪がまもなく始まる。谷氏が最初にテレビで五輪を見たのは84年のロス大会だった。「当時を思い出し、今は新鮮な気持ち」。ただ応援する側に回っても、五輪に対する気持ちは競技者時代と同じだ。「五輪は、競技をする立場、応援する立場すべてを凝縮した、無限大のもの」と考えるからだ。

 金2つを含む5つのメダルを獲得した五輪は「自分自身の努力を確認できる場所だった」という。「その時の実力と運と心技体がそろい、応援を力に変え、家族や所属先の協力もあって初めて代表になれる。いろんな研さんを積み上げて立った舞台」と話す。「最高でも金、最低でも金」をテーマに、初めて金メダルを手にしたシドニーまで、初出場から8年。大会と大会の間の4年も「勝ち続けて初めて、出られる。想像を絶する長さ。道筋は果てしない」。世界王者になっても常に、前進できるかどうかとの戦いを続けていた。

 「4年に1度の舞台にかける気持ちも、費やした時間も分かる」からこそ、福見への期待も大きい。「48キロ級(の金メダルは)はやはり日本、という勝利を勝ち取って欲しい」と激励した。「柔道は男女で7個くらい」が、谷氏のメダル予想。「私は運良く、ヤワラちゃんというニックネームをもらい、マスコミに引っ張ってもらえた。長く勝ち続け、たくさんの人が応援してくれるシンボル的選手が出て初めて、スポーツは盛り上がる」と、スター誕生にも期待を示した。

 今月、約2年間所属した民主党を離れ、「国民の生活が第一」に加わった。五輪との関係が変わった同じ年、政治的立場も変わったが、出馬動機だった「女性アスリートの環境整備」は変わらない。なでしこジャパンの初陣勝利にも興奮した。「いい内容だったと思う。五輪には五輪、W杯にはW杯の勝ち方がある。なでしこは、勝ち方を知っている」。そう話した時、勝負師の目に変わった。【中山知子】

 ◆谷亮子(たに・りょうこ)1975年(昭50)9月6日、福岡県生まれ。小学2年で柔道を始め、福岡工大付から帝京大、日体大大学院、トヨタ自動車で活躍。15歳の時、福岡国際女子柔道で最年少優勝。五輪は5大会に出場し、金2、銀2、銅1を獲得。世界選手権は6連覇を含む7度、全日本選抜体重別は11連覇を含む14度の優勝など、数々の記録を持つ。10年に現役を引退。同年の参院選比例代表に民主党から出馬し、初当選。03年12月に結婚した、プロ野球巨人の谷佳知との間に2男。昨年、国際柔道連盟(IJF)から特別表彰された。

 [2012年7月27日9時13分 紙面から]



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