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福見メダル失敗…女子48キロ級初/柔道

3位決定戦でチェルノビチュキーに一本負けを喫する福見(撮影・たえ見朱実)
3位決定戦でチェルノビチュキーに一本負けを喫する福見(撮影・たえ見朱実)

<ロンドン五輪:柔道>◇28日◇女子48キロ級

 金メダル候補の女子48キロ級の福見友子(27=了徳寺学園職)は準決勝で敗れ、3位決定戦もエバ・チェルノビチュキー(ハンガリー)に負け、5位に終わった。

 福見が5位に終わり、92年バルセロナ五輪から谷亮子が続けてきた同階級のメダルが5大会連続で途切れた。ぼう然とした表情で「これが五輪かなと思います。何が足りなかったのか。金メダルを取れなかったことが本当に悔しい。3位決定戦は必ずメダルを取って帰ると気持ちを切り替えて臨んだけど。一生悔いが残る」と、涙声を振り絞った。

 1回戦で09年世界選手権決勝で勝ったブランコに何もさせず、好調に4強へ。準決勝は北京五輪準決勝で谷亮子を破って金メダルのドゥミトル。29歳のベテランに技ありを奪われて、まさかの敗北を喫した。3位決定戦でもチェルノビチュキーに延長の末、小外刈りで一本を奪われた。

 02年に初めて谷(当時田村)を破る鮮烈デビュー後、自分を見失ってスランプに陥った。北京五輪を前にした07年選抜体重別選手権で再び谷を下したが、実績不足を理由に五輪選考にかかわる世界選手権代表に選ばれなかった。谷の壁の前に立ち往生している間に若い浅見の台頭、そして立場の逆転。1度は五輪をあきらめかけた。

 支えてくれたのは家族だった。3歳になる直前、父茂さん(享年37)を交通事故で亡くし、母早苗さんに育てられた。「家族に金メダルを掛けたい」と、感謝を込めて畳に上がった夢舞台の味は苦かった。「皆さまに申し訳ない。トモは精いっぱいやったと思います」と、母は娘を思いやった。多くの試練を乗り越えてきた。結果は不本意だったが、その道のりには胸を張れる。

 ◆福見友子(ふくみ・ともこ)1985年(昭60)6月26日、茨城県土浦市生まれ。7歳から柔道を始める。土浦日大高2年時に出場した02年選抜体重別選手権で、当時65連勝中で対日本人12年間無敗だった田村(現谷)を破り、注目を集めた。07年も選抜体重別で谷を撃破し、谷に公式戦で2度勝利した唯一の選手。09年世界選手権優勝。得意技は背負い投げ。家族は母早苗さん、兄俊彦さん、姉千晴さん。好きなことはカフェめぐり。157センチ。

 [2012年7月29日8時54分 紙面から]



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