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松本金!ロンドン1号/柔道

女子57キロ級で優勝し、涙をぬぐう松本(撮影・PNP)
女子57キロ級で優勝し、涙をぬぐう松本(撮影・PNP)

<ロンドン五輪:柔道>◇30日◇女子57キロ級決勝

 日本に待望の金メダル第1号だ! 松本薫(24=フォーリーフジャパン)が、決勝でカプリイオリウ(ルーマニア)に延長の末に反則勝ちし、今大会の日本選手団初となる金メダルを獲得した。初戦から相手をにらみつける闘争心むき出しの攻撃で、柔道女子今大会初のメダルで、同階級は56キロ級だった時代を含めて初の快挙。期待の福見友子、中村美里とメダルなしに終わった重苦しいムードを断ち切り、日本チーム全体に勢いをつけた。

 涙が抑えきれなかった。やっと、こじ開けた金メダルへの扉。勝ち名乗りを受けた後、松本は真っ先に園田監督の下へ駆け寄った。涙を何度もぬぐう。「ホッとしました」。だが、表彰式で君が代を口ずさむ表情は、晴れやかだった。「最初に泣いたので、なくなりました」。そう笑った。

 昨年世界選手権3位のカプリイオリウとの決勝。決め手はないが、果敢に動いた。バテた相手とは対照的に攻め続けた。延長17秒。相手が松本の軸足を刈ってきた。審判団が集まり審議する。反則が宣告され、松本に手が上がった。その瞬間、金メダルが決まった。

 「運が良いんです。駄菓子屋でアメの当たりくじを4回連続当てたことも。店の人に疑われましたけど」。女子57キロ級として日本人初の頂点。今大会の日本金メダル第1号にもなった。「1番は好き」。持ち前の強運は、ここ一番でも生きていた。

 右足を前に構え、始めの合図で猛然と突っ込む。疲れはみじんもなかった。たぐいまれな身体能力。小学時代、弟の元大(げんた)さんとの競り合いで培った。家の屋根に上がってはぎりぎりまで滑り落ちる「あり地獄」で遊んだ。端から落ちれば崖。4階建て分の高さがあった。「自分がぎりぎりにいるのに、弟が滑ってきてぶつかって落ちたこともありました」。

 高校時代は自転車で通学中、3度も車とぶつかり宙を飛んだ。だが、体は車を越えてぴたりと着地。自転車を買い替えただけで済んだ。血液を検査すると、人より乳酸を分解する能力が高いことが分かった。「みんなより疲れにくいそうです」。派手な一本勝ちはないが、前へと突き進んだ。

 約束の舞台だった。中学生のとき、柔道で海外遠征に行く機会が増えた。母恵美子さんに「いいなぁ、薫はいろんなところに行けて」と言われた。5人兄弟。母は地元石川県から出たことがなかった。「じゃあ、私が五輪に連れて行ってあげる」。五輪で金メダルを目指す柔道が始まった。

 だが、その道は険しかった。高校時代は東京へ柔道留学するも合わず、石川に戻った。帝京大時代は1年で鼻骨、2年で右肘の骨を折るなど、毎年骨折などの大けがを繰り返した。原因は明白。食生活だった。

 白米を好まず、食生活はおかずとお菓子だけ。朝は空揚げだけで過ごし、昼はアイスやポテトチップスにチョコ。夜も揚げ物と肉だけを平らげ、部屋に帰るとお菓子の続きを食べていた。「ちゃんとした栄養を取っていなかったんです」。

 変えてくれたのが、フードコーディネーターの父賢二さんだった。大学3年から毎月1、2度、冷凍した食事とレシピを大量に送ってくれた。白米嫌いを分かって、野菜やエビが入ったチャーハンにするなど工夫のこもった味。「体が変わった。代謝が変わり、食べても太らなくなった」。生まれ持った身体能力を生かす「器」ができあがった。

 「今はパフェを食べたいです」と無邪気に笑った。「ウルフ」の愛称を持つ野性味あふれる五輪女王が、誕生した。【今村健人】

 [2012年7月31日9時50分 紙面から]



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