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中本6位 マラソン2大会ぶり入賞/陸上

2周目の周回で、沿道の声援を浴びながら石畳の商店街を力走する中本(撮影・松本俊)
2周目の周回で、沿道の声援を浴びながら石畳の商店街を力走する中本(撮影・松本俊)

<ロンドン五輪:陸上>◇12日◇男子マラソン

 日本第3の男・中本健太郎(29=安川電機)が、2時間11分16秒で6位入賞を果たした。持ち前の粘りを終盤に発揮し、日本勢としては04年アテネ大会(5位油谷繁、6位諏訪利成)以来となる2大会ぶりの入賞を果たした。山本亮(28=佐川急便)は40位、藤原新(30=ミキハウス)は45位。スティーブン・キプロティク(23=ウガンダ)が2時間8分1秒で金メダルを獲得した。

 「地味な男」らしく淡々とゴールした。真夏のロンドンサバイバルレースで、中本が粘り強さを発揮した。男子マラソンでは日本勢2大会ぶりの入賞。山頭コーチが「影の薄い地味な選手」と称する男が、意地で踏ん張った。「初めての舞台だったんですけど、今までやってきたことが間違いじゃないと証明できた。いいレースができました」と静かにうなずいた。

 メダルを捨てて「入賞」を狙った。今の日本勢にスタートから飛び出すアフリカ勢と競い合う力はない。「ついていかずに後半勝負」と無理しなかった。折り返し点は先頭キプサング(ケニア)と1分27秒差の20位。そこから脱落者を1人ずつ抜いた。25キロは9位、30キロ過ぎに第2集団を抜け出し、35キロは5位まで浮上。最後に力尽きたが、川内優輝(埼玉県庁)らと代表最後のイスを争った「第3の男」が辛うじて日の丸の誇りを守った。

 菊川中では野球部の俊足の外野手。1度は野球強豪校への進学を決めたが、西市高・富家正治監督(44)が熱心に陸上界へ誘った。「地元の陸上大会で膝から下の動き方がしっかりしていた。腰が入っていました」と同監督。だが、高校では本番に弱く、1度も全国大会に出られなかった。拓大でも箱根駅伝は出場1回。卒業後は地元に近い安川電機へ。しかし、駅伝でも活躍できず、08年にマラソン初挑戦。そのひたむきな性格が実を結んだ。

 「両親に感謝したい。父が今も走っている姿を見ると、勇気と刺激をもらえます」と言う。父輝美さんは、マラソン2時間24分12秒のタイムを持つ市民ランナー。58歳になった今も夜9時から黙々と走る。母京子さん(54)が「世界選手権に行っても、五輪に行っても、良かったなと言わない」と言う父は、ようやく「よく頑張りました」と目頭を熱くしていた。

 6月27日、大分・九重合宿中に長男理久(りく)くんが生まれた。強き姿を見せるために懸命に走った新米パパは「マラソン王国日本を、もう1回復活させたい」と意気込んだ。92年バルセロナ大会以来離れる表彰台。今回もアフリカ勢に対抗すらできずメダルの夢は遠のいた。中本の決意が、16年リオ五輪への巻き返しにつながるだろうか。【近間康隆】

 ◆中本健太郎(なかもと・けんたろう)1982年(昭57)12月7日、山口・下関市(旧菊川町)生まれ。菊川中では野球部で外野手。西市高で陸上を始め、拓大では藤原新の1学年下で、4年時に箱根駅伝に出場して7区16位。05年に安川電機入社。昨年の大邱世界選手権では10位。マラソンの自己ベストは今年3月のびわ湖毎日での2時間8分53秒。家族は玲子夫人(23)と6月27日に生まれたばかりの長男理久くん。173センチ、58キロ。

 [2012年8月13日8時47分 紙面から]



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