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入江悔しい銀、リオで悲願だ/競泳

表彰台で笑顔を見せる2位の入江、優勝したクレアリー(左)(撮影・たえ見朱実)
表彰台で笑顔を見せる2位の入江、優勝したクレアリー(左)(撮影・たえ見朱実)

<ロンドン五輪:競泳>◇2日(日本時間3日)◇男子200メートル背泳ぎ決勝

 入江陵介(22=イトマン東進)が宿敵ロクテ(米国)を破り、銀メダルをつかんだ。残り50メートルから追い込んで逆転。優勝したクレアリー(同)には届かなかったが、1分53秒78の記録で銀メダルを獲得した。100メートルに続く2個のメダルを胸に、今秋にも欧州への水泳留学を計画。日本のエースとして海外を拠点に、4年後のリオで悲願の金メダルを狙う。

 入江が最大のライバル、ロクテに勝った。残り50メートルのスプリント勝負。3番手からロクテ、クレアリーを追いかけ、残り10メートルで追いついた。ラスト勝負。クレアリーには逃げられたが、「標的」だった男を逆転し、銀メダルをつかんだ。

 入江 ロクテ選手と競って本当にいい感じでいけたので、1という文字を見たかった。すごく残念。今できる100%のレースはできました。悔しい思いはすごくあるけど、でも出し切った中での2位です。

 記録は1分53秒78。昨年の世界選手権も同じ銀メダルだが、タイムは1分52秒96。だから満足しない。それでも100メートルの銅に続き、200メートルでもメダルを獲得。しかも日本選手権後にぜんそくを患い、先月は左肩も痛めた。それを乗り越えてのメダルだからこそ、大きな価値がある。

 18歳で出場した北京は、期待されながら5位に終わった。その悔しさが、4年間の糧になった。母久美子さんが言う。「北京のことは触れないようにしてる。いい結果だったら、なんぼでも見るでしょうけど、一切見てない。私たちも見なかった」。負けず嫌いな性格の一端が見えた。

 今大会を機に、入江は海外へ飛び出す意思を固めている。学生時代から希望した欧州留学。行き先としては、同じ背泳ぎのライバル、ラクールがいるフランスなどが有力だ。もはや日本で競り合える選手がいないのが現状。09年世界選手権100メートル金メダルの古賀淳也も、環境を変え、米国で再起を図る。そんな親友の動向も刺激となった。道浦健寿コーチは「高校卒業後の進学相談の時、留学の話をしたことがあった。まだ直接聞いていないが、本人もそういう希望をするならば、力になってあげたい」。

 涙はなかった。でも、心の底から笑ってもいない。どうしても五輪で金メダルをつかみたい。だからこそ、入江は力強く宣言した。「この悔しさを持って、4年後までにさらに強くなった自分を、リオの舞台で証明できるように頑張りたい」。ポスト北島と目される「後継者」が、欧州から再スタートを切る。【佐藤隆志】

 ◆入江陵介(いりえ・りょうすけ)1990年(平2)1月24日、大阪市天王寺区生まれ。近大付高-近大。08年北京五輪は200メートル5位。09年世界選手権は100メートル4位、200メートルで銀メダル。昨年の世界選手権は100メートル銅、200メートル銀。自己ベストの100メートル52秒24、200メートルの1分52秒51は日本記録。趣味はスポーツ観戦、音楽鑑賞、ピアノ演奏。178センチ、64キロ。

 ◆競泳の海外留学 水泳大国・米国への留学が目立っている。最も有名なところでは、北島康介が3年前に米ロサンゼルスに拠点を移し、南カリフォルニア大でサロ・コーチの指導を受ける。背泳ぎの古賀淳也は五輪切符を逃したことで、今秋から渡米。寺川綾もアテネ五輪後、1年間米国へ留学。また、男子100メートルバタフライの日本記録保持者・河本耕平は米アリゾナ州を拠点にしており、英国留学の経験もある。

 [2012年8月4日9時7分 紙面から]



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