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ボルト重圧はねのけ全力連覇/陸上

ボルト(左から2人目)は五輪レコードタイムでゴールに飛び込む(撮影・松本俊)
ボルト(左から2人目)は五輪レコードタイムでゴールに飛び込む(撮影・松本俊)

<ロンドン五輪:陸上>◇5日(日本時間6日)◇男子100メートル決勝

 やはりボルトは強すぎた! 世界記録保持者のウサイン・ボルト(25=ジャマイカ)が、9秒63の五輪新記録で金メダルを獲得した。6月のジャマイカ選手権で敗れるなど調整に不安を抱えての大会だったが、上位4人が9秒80以内という史上最高レベルのレースを制した。9秒58の世界記録こそ更新できなかったが、08年北京五輪で世界に衝撃を与えた9秒69を0秒06も上回り、84年ロサンゼルス、88年ソウル大会を制したカール・ルイス(米国)以来、2人目の同種目連覇を果たした。レース後は30歳で迎えるリオデジャネイロ五輪への挑戦を表明、「生きる伝説」になることを誓った。

 やはりボルトはボルトだった。今回ばかりはブレークに負ける-。誰もが懐疑的な目を向けた。だが人類最速の男の肉体は、雄弁だった。

 男子100メートル決勝。ピストルの電子音に5番手で飛び出す。スタート反応は0秒165。中盤まではブレーク、ガトリン、ゲイと競り合う。70メートルすぎ、長いストライドで抜け出した。食らいつくブレークを引き離し、体を前に倒し込んでのゴール。掲示タイムは9秒63の五輪記録。天に向かって弓矢を射る、おなじみの「サンダー(稲妻)・ボルト」ポーズを決めた。

 ボルト オレが負けると疑っていた人もいただろう。だから「自分が世界で最も偉大だ」と証明しなければならなかった。

 決勝8人中、7人が9秒台。これは五輪、世界選手権通じて史上初だ。加えて8人中、4人が9秒80以内も初めて。100メートル史上、最もレベルの高い争いだった。「世界トップの4人と走ることは光栄だった」。殊勝な言葉が、かえって王者のプライドを誇示した。

 昨年世界選手権の100メートル決勝でフライング失格した。背骨がS字に大きく曲がる「脊椎側湾症(せきついそくわんしょう)」。その身体的な特徴から、踏み出しの1歩目の足が、しなるムチのように大きく外側に反る。ピストルの合図にすばやく飛び出しても、必ず出遅れる。そこを克服しようとするあまり「スタート恐怖症」に陥った。ミルズ・コーチは「スタートを考えるのをやめろ。自分の得意な終盤に集中しろ」。この日のスタートも実は足をすべらせた。それでも冷静さを保ったことで、記録につながった。

 ジャマイカが英国から独立し、8月6日で50年。その記念日を前にロンドンの空にジャマイカ国旗をたなびかせた。会見では五輪記録となる22個のメダルを獲得した競泳のフェルプス(米国)の名前を挙げ、「オレはこの金メダルでまた1歩、伝説に近づいた」。そして4年後のリオデジャネイロ五輪について「30歳になるけど、すばらしい肉体であることを願う。26歳となるブレークもおもしろいところだけど」。前人未到の3連覇へ、意欲をかきたてた。

 100メートル決勝の日の朝食はマクドナルドの宅配でチキンを食べた。どこに行ってもボルトは、ボルト。マイペースなところは変わらない。7日から始まる200メートルへ、今度は自身の持つ世界記録19秒19に挑むことになる。重圧をはねのけたことで「期待が持てそうだ。ここ数年、その思いがあるし、自信も芽生えている」。晴れやかな表情に、一発ムードがただよった。【佐藤隆志】

 ◆ウサイン・ボルト 1986年8月21日、ジャマイカ・トレロニー生まれ。少年時代はサッカーやクリケットに打ち込み、13歳から陸上を始める。当初は200メートルが専門だった。02年世界ジュニア選手権を史上最年少の15歳で優勝。04年には17歳で19秒93のジュニア世界新をマーク。07年の大阪世界選手権200メートルで2位となり、100メートルに本格参戦。08年の北京五輪でリレーを含めて短距離3冠。09年8月の世界選手権では100メートルを9秒58、200メートルを19秒19の世界新で優勝。趣味はテニス観戦、サッカー。196センチ、86キロ。

 [2012年8月7日9時13分 紙面から]



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