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寺川綾の完成型、有終の銅/競泳

3位に入り笑顔でガッツポーズする寺川
3位に入り笑顔でガッツポーズする寺川

<ロンドン五輪:競泳>◇7月30日(日本時間同31日)◇女子100メートル背泳ぎ決勝

 寺川綾(27=ミズノ)が、58秒83の日本新記録で「有終」の銅メダルをつかんだ。冷静なレース運びから終盤追い込み、タッチの差で念願だったメダルに手を届かせた。27歳261日でのメダル獲得は、日本女子競泳史上最年長。01年、16歳で世界選手権にデビューしてから11年。開幕前から今大会を競技人生の一区切りと明かしており、まだ400メートルメドレーリレーこそ残してはいるが、100メートル1本に絞った個人種目で有終の美を飾った。

 最後に浮かんだのは、平井伯昌コーチの顔だった。50メートルの折り返しを5番手で入り、そこから終盤を猛追してのラスト勝負。勝負を分けたのは「タッチ」だった。隣の2コースを泳いだズエバ(ロシア)よりも一瞬速く、ゴール板に手をついた。その差は0・17秒。スタート台に3番を示すランプが3つ点灯する大歓声の中、寺川は右手でガッツポーズをつくって、声援に応えた。

 「最後、タッチする瞬間に平井先生の顔を思い出して。何回も何回も言われてきた『タッチしっかりやるんだぞ』というのを最後に思い出した」。目から大粒の涙がこぼれた。北京五輪の落選から4年。苦難の道のりを越え、念願のメダルをついに手にした。

 寺川 目標としてきた順位とは違ったし、メダルの色も違ったけど、チームの皆さんにすごくいい雰囲気でレースに行かせてもらった。この結果は私1人のものじゃない。みんなにありがとうって伝えたい。

 運命の師との出会いが、寺川を「大人」に変えた。北京を逃し、引退を考えた。悩んだ末にたどりついた答えが、同種目の中村礼子をアテネ、北京で銅メダルに導いた平井コーチだった。08年12月、東京スイミングセンターを訪ねて「練習させてください」と頭を下げた。漠然とした申し出に1度は断られたものの、1週間後に再訪した。「世界の舞台で戦いたい。ここしかないんです」。その熱意にほだされて、師弟関係は結ばれた。

 ただ、何度もぶつかった。最初は09年の日本選手権で3種目を制した後、テレビ取材で「やめる」という言葉を連発したことに、平井コーチが嫌悪感を覚えた。「どこでやめるのかというのを探している感じがした。預かった以上、五輪のメダルを考えていたので、途中でやめるんだったら。もうやめてくんないかな、くらいに思った」。

 昨年12月下旬には、練習姿勢を見かね、平井コーチがプールサイドから怒鳴った。「上がってこい!」。激しい口論が待っていた。「人から見れば茶番劇かもしれないけど、ため込んだストレスを出す機会があって、お互いやりやすくなった」。両者の絆は固まった。この日のレースを制したのは、最後までレースプランを冷静に遂行した精神的なたくましさだった。

 100メートル1本に絞ったレースで、見事に大輪の花を咲かせた。そして今回を最後に第一線から退く意向を、以前から示している。

 平井コーチ こんなこと言って、康介みたいにまた続けたら失礼ですけど、寺川綾の完成型かな、と。冷静にレースを運べたという言葉が増えてきたと思うんですけど、それが大人の証しというか。北島もそうですけど「大人の寺川綾」って感じだと思います。

 そんな恩師の言葉を知ってか、表彰式後、涙の乾いた寺川はこう話した。「選択したことは間違ってなかったと思います。っていうか、メドレーリレーがあるのでこれはまだ締めじゃないです。もうちょっと待っててください」。あの福岡から11年後、紆余(うよ)曲折を経て美少女は大人の女性へと変貌。運命のロンドンで輝ける瞬間が待っていた。【佐藤隆志】

 [2012年8月1日9時6分 紙面から]



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競泳評論・高橋繁浩

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元五輪代表の高橋繁浩氏(中京大教授)が五輪競泳を評します。

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