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内村金!無敵の王者完全復活/体操

あん馬の演技で、着地の瞬間にガッツポーズする内村(撮影・たえ見朱実)
あん馬の演技で、着地の瞬間にガッツポーズする内村(撮影・たえ見朱実)

<ロンドン五輪:体操>◇1日(日本時間2日)◇男子個人総合決勝

 金メダルだ! 無敵の王者の完全復活だ! 北京五輪銀メダリストで世界選手権3連覇中の内村航平(23=コナミ)が、合計92・690点で金メダルを獲得した。予選はミスが目立ち9位にとどまったが、決勝では本来の正確な演技を披露。最終種目の床で手をつくミスをしたものの、個人総合では84年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司氏以来、日本人28年ぶり4人目の金メダルで、日本体操史上初めて五輪と世界選手権を制した。08年11月の全日本選手権以来となる連勝も21に伸ばした。

 鬼門からのスタートだった。最初の種目は2日前の団体総合決勝の降り技でミスして、得点訂正の騒動になったあん馬。北京五輪でも2度落下していた。ぴりぴりする緊張感の中、内村は降り技できれいな倒立からひねり、完璧な着地を決めた。今大会で初めて出た両手ガッツポーズに満面のどや顔。悪夢を振り払い、一気に勢いづいた。

 続くつり輪も着地こそ1歩前に動いた。しかし、続く跳馬が圧巻だった。2回半ひねりの着地は微動だにしなかった。技の美しさを示す10点満点のE得点(実施点)は9・666点。世界王者が完全復活した瞬間だった。3種目を終わり、トップに立った。

 4種目の平行棒も着地で少しブレた以外はうまくまとめ、続く鉄棒ではF難度のコールマンを抜いた安全策で、着地をピタリと決めて15・600の高得点をマーク。この時点で金メダルをほぼ確実にした。最終種目となった得意の床で、珍しく手をつくミスを犯したが、全種目で15点以上の演技でまとめた。

 エースとしてチームをけん引してきた団体総合で金メダルを逃した。正確な着地に乱れが生じ、ミスも出ていた。何よりも精神的なショックが心配された。しかし、内村は「すぐに気持ちは切り替わる」と前を向いた。中1日。世界王者の真価が問われる舞台だった。

 誰よりも美しく、正確で、強い内村がよみがえった。原点は母周子さんの教えだった。昨年の世界選手権で“誤審”を生んだ高速回転のひねりは周子さん直伝。周子さんは「うちのクラブの生徒は、ひねりは日本一だと言われる」と胸を張る。母は、観客席で日の丸を握りしめ、祈るように息子を見つめていた。

 11歳の誕生日に買ってもらった縦12メートル、横2メートルのトランポリンは、難度の高い空中技を軽々とこなすのに役だった。暇さえあれば、トランポリンの上で跳びはね、驚異の空中感覚が養われた。「あのトランポリンが原点」と内村は話す。そこに、高校3年間の基礎練習、日体大進学後の経験が積み重なり、金メダリストの内村航平が完成した。

 心の底から願っていた団体総合の金メダルは逃した。「銀メダルでも4位でも変わりはない」。団体総合決勝後、悔しさだけが募った。笑顔1つなかった今大会。しかし、この日は世界最高のどや顔で、ようやく世界最強の体操が復活した。

 ◆内村航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日、福岡・北九州市生まれ。3歳で長崎・諫早市に移り、両親が経営するクラブで体操を始める。15歳で体操が強くなるために単身で上京。日体大に進学し、08年北京五輪では団体と個人総合で銀メダルに輝いた。09~11年世界選手権個人総合で前人未到の3連覇を達成した。両親と妹春日(はるひ)の4人家族で、全員が体操をする。160センチ、54キロ。得意種目は床運動。

 [2012年8月2日9時26分 紙面から]



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